U9規格



U9規格は鉄道模型の分野で軌間が9mm未満の鉄道模型を規格と称して呼ぶ愛称。Under 9mmに由来する。インターネットを中心に使われている冗句である。






U9規格という言葉が生まれるまで
20世紀の日本において、軌間9mm未満の鉄道模型は、鉄道模型特有のレールの既製品がZゲージを除いて存在しないため、一部愛好家の手作りで作られている状態だった。

無動力の物は以前から森永やカバヤ等から食玩で供給されていたが、実際に動力走行する物の量産は皆無に近かった。

また、これらのものはいずれも鉄道車両の玩具であり、車両・線路・ストラクチャーがシステム化されたものではなかった。

しかし2005年以降、バンダイからの「ZZ TRAIN」、タカラ(現:タカラトミー)から「マイクロゲージ」、タカラホビーから「日本の鉄道」、アキア(現:プラスアップ)から「ZJゲージ」が発売され、栄進堂から「Tゲージ」が発表される等、徐々に活気を帯びつつある。

これらの商品が市場に台頭しだした2006年前半頃から、これらの軌間9mm未満の鉄道模型を「U9規格」と愛称で呼ぶ流れがインターネットを中心に冗句として登場した。



U9規格とされる製品


Zゲージ準拠のもの
Zゲージ - 直流二線式
マイクロゲージ - 電池式
日本の鉄道 - 電池式
ZJゲージ - 直流二線式


ZZゲージ
本項では、日本型縮尺300分の1・軌間4.8mmのモデルを便宜上「ZZゲージ」と呼称する。

ZZ TRAIN - 電池式。読みは「じーじーとれいん」。


Tゲージ
軌間3mmの鉄道模型で、由来は「Three」の先頭の文字であるTから命名された。2006年7月に開催された東京おもちゃショーで発表された。現在は未だ試作の段階である。乱立気味のU9規格において、現在の技術力において量産化できる最小の鉄道模型と考えられる。

試作品は光造型技術を駆使して作られた状態で走行性能は約30年前のNゲージのようにモーターの唸りを上げて走る。ZZゲージに続き、日本からこのような世界最小の鉄道模型が量産化されるのはモーター、歯車等、精密加工技術の裾野が広い為だと考えられる。

現在は栄進堂が試作品を発表した段階で、商品化の時期は未定である。



U9規格の課題
一方、多種多様な規格が乱立する事により消費者の混乱を招き、パイの奪い合い、共倒れの懸念も生じつつある。それぞれのシリーズ、規格に一長一短があり、どの規格が今後、普及するかは予断を許さない状況にある。

ただ、過去Zゲージ製品の車両の供給が事実上メルクリン一社に留まっていることや日本市場における高価な価格設定でZゲージの市場が限定的なものになっている例を持ち出すまでも無く、1社だけでの展開には自ずと限界があるのは明白であり、今後、規格の公開、及び他社の参入、互換性の確保がこれらの規格の普及の課題となる。

初期の商品の供給形態がブラインド式パッケージ販売が多いのも特徴の一つであり、これらの商品が鉄道模型システムの一要素としてよりも鉄道車両の玩具としての性格が強いことを表していると言える。



ZJゲージ



ZJゲージはアキア(合併によりプラスアップ)から販売されている日本版Zゲージの食玩シリーズである。





概要
日本ではZゲージの商品化の動きはこれまで一部の玩具を除いて、少なくとも自走式模型の分野では全くなかった。その状況下で、食玩という形態とはいえ、他のゲージの鉄道模型と同じ直流二線式の自走式(動力付き)細密モデルがリリースされることとなり、鉄道玩具・鉄道模型の両分野のファンの耳目を集めた。「ZJゲージ」と名乗っているが、OjゲージやHOjゲージなど、他のゲージの「*jゲージ」と異なり縮尺・軌間ともヨーロッパ型Zゲージと同じ1/220・6.5mmであるので、事実上Zゲージと考えて良い。

商品の箱には車輛1輛、直線または曲線の線路1本、それに飴と解説書が同梱されている。なお、動力車についてはシークレットの形で供給されているが、動力車と付随車は当然重量が異なることから、サーチ対策として付随車のパッケージにはボール紙が入って死重となっており、逆に動力車のパッケージには線路が付属しない。5月からは対応パワーパックも発売されている。



製品化された車輛
485系
2006年4月発売(国鉄特急色、ひたち色)
2006年10月発売(上沼垂色、スーパー雷鳥色、かがやき・きらめき色)
クハ481(300番台・「電気釜」非貫通形)
モハ484(200番台・シークレットに動力車あり)
モハ485(後期形)
サロ481(特急色、上沼垂色のみ)・サハ481(300番台・ひたち色のみ)


オプション
パワーパック
2006年5月発売。最大出力10V・0.8A。
線路セット
2006年6月発売。
直線10本セット
曲線6本セット


現状と課題
これまでZゲージは実質的にメルクリンの独占であり、車輛も欧州型ばかりで、日本国内の主流であるがZゲージよりも一回り大きいNゲージに比べ価格が数倍もする高価なものであったが、本シリーズが食玩という低価格を前提とした商品展開で登場したことにより、従来の図式を変えられるか注目される。実際、各地の鉄道模型専門店や量販店でも一定の取り扱いがあり、徐々に浸透しつつある。 第1弾の485系発売時点では動力車がシークレットモデルで3ボールにつき2個しかないので、これを入手できなければ走行不能であるという問題があった。 第2弾では動力車、電池式パワーパックが1ボールにつき1個づつ入っている為、1ボールでエンドレスの線路、編成を揃える事ができるようになった。

東京マルイ、天賞堂からも参入が予定されている。また、日本型ストラクチャーも徐々に揃いつつある。

一過性の物に終わるか持続的に市場が拡大するかは、今後、他社の互換規格での参入や製品の拡充、供給形態の見直しが大きく影響することが予想される。日本のZゲージ市場を定着させるためには、今後の積極的な新規参入が望まれる状況である。



関連項目
Zゲージ
U9規格

乙n2(おつエヌツー)



乙n2(おつエヌツー)は、2フィートナローゲージを対象にした縮尺・軌間が1/87(HOスケール )・6.5mmの鉄道模型に対して日本におけるナローゲージ鉄道模型愛好家が好んで使用する呼称。呼称の由来は、インターネット電子掲示板2ちゃんねるで多用されている用語「乙」がZゲージのアルファベット頭文字「Z」に類似していることから、Zゲージの6.5mmゲージを「乙ゲージ」のニックネームで呼び、2フィートナローゲージを縮尺1/87(HOスケール )・軌間6.5mm(乙ゲージ)で走行させることから命名されたと推定される。2ちゃんねる利用鉄道模型愛好家が日常会話や挨拶に用いるスラングでもある。



概要
2フィートナローゲージの縮尺1/87(HOスケール )の鉄道模型は、「世界的にNMRA規格で制定されているHOn2(縮尺・軌間が1/87・7mm)」が正調なので、Zゲージ既製品利用やヨーロッパのNEM規格で制定されているHOi(縮尺・軌間が1/87・6.5mm。HOfとも呼ばれる)に揃えて、1/87・6.5mmを採用する日本のナローゲージ鉄道模型愛好家がブログや掲示板で過度の自己主張や仲間意識を高めるために自然発生的に「乙n2」という呼称が生まれた模様。(n2は2フィートナローゲージを表す添字)

乙n2は、軌間6.5mmの線路を走らせる2フィートナローゲージ(n2)の鉄道模型を表すとし、縮尺は1/87のHOスケールであるにも関わらずNMRA規格で制定されているHOn2(縮尺・軌間1/87・7mm)の7mmゲージを採用しなかったので、HOn2の呼称が使用できないためスケールを表す文字の部分を故意に「乙」と表記したと推定される。「(6.5mmを採用するから)HOn2では無い」としてHOn2スケールモデルと区別するために2ちゃんねる用語の「乙」の文字を当てたようだが、鉄道模型における単なる言葉遊びの感がぬぐえない。

「現在のところ乙n2は2ちゃんねる利用ナローゲージ鉄道模型愛好家による自作のみで、メーカーによる既製品は存在しない」が、もし製品化される場合は(事実ヨーロッパではHOi若しくはHOfとして1/87・6.5mmの製品が存在する)2ちゃんねる用語に由来する「乙n2」などというふざけた呼称は使用せず、商用ベースで通用するNEM規格準拠のHOi(若しくはHOf)と表現するものと思われる。


OOゲージ(ダブルオーゲージ)



OOゲージ(ダブルオーゲージ)は、鉄道模型の縮尺と軌間を示す呼称のひとつ。一般的には縮尺1/76、軌間16.5mmのものを指し、現在はイギリスにおいてのみ採用されている規格である。



起源と変遷
OOゲージの起源は1921年にイギリスのバセット・ローク社から発売された製品である。この時の規格は縮尺1/87(3.5mmスケール)で軌間は公称5/8インチ、実際には16mmというものだった。この後OOゲージは普及とともに様々な変遷を重ねることとなる。第一に軌間については、1930年代の前半頃には16mmにかわって16.5mmが標準となった。一方縮尺については、イギリスでは実物の車輛が小さい事などの理由から次第に1/76(4mmスケール)の縮尺が使われる様になった。

そして規格の名称自体についても、当初のOOの呼称以外にHOと呼ばれることも多くなってきた。そのため1930年代後半にはバセット・ローク社が名称をOOで統一するよう呼びかけを行うに至ったが名称の統一は叶わず、結局縮尺1/76・軌間16.5mmの規格をOOゲージ、縮尺1/87・軌間16.5mmの規格については別にHOゲージと呼び分ける事が定着した。以後、実物の鉄道の標準軌間(1435mm)を軌間16.5mmに縮小した鉄道模型は縮尺の違いにより二種類の名称を持つことになった。

アメリカにおいては、OOゲージの縮尺1/76を用いて軌間を縮尺通り19mmとした「アメリカンOO」と呼ばれる規格が派生して1930年代後半に盛んになったが、HOとの競合に敗れて衰退し、現在ではNRMAの規格表に残るものの全く廃れてしまっている。  またアメリカンOOと同様の考え方からOOから派生した規格にEMゲージがある。こちらは縮尺1/76・軌間18mmというものである。



補注
一部の国・地域では起源・由来は不明であるが、縮尺を1/72とするところもある。参照例:Tren eléctrico


TTゲージ(ティーティー - )



TTゲージ(ティーティー - )とは鉄道模型の規格の一つであり、線路の幅(軌間)が12mmで、縮尺がおよそ1/120のものをいう。HOゲージよりも小さく、テーブルの上でも遊べる鉄道模型という意味で、Table Topを略したものである。

この規格は1950年頃に登場し、主にヨーロッパで流行したが、よりコンパクトなNゲージが登場したため、勢力の縮小を余儀なくされたが、Nゲージと比較すればサイズは大きいため細密化の工作は容易であり、完全に衰退することはなく続いてきた。特に製造メーカーがあったドイツでは、多くの製品が発売されている。



TT9
日本においては、2000年ごろから狭軌版TTゲージとして、1/120で軌間が9mmの「TT9」という規格を普及させるプロジェクトが出現した。

狭軌の1067mmをNゲージにした場合、9mmという軌間はオーバースケールであるが、縮尺を1/150にした場合の軌間は7.1mmとなり、レールまで含めて新規に開発しなければならない。しかし、TTゲージの縮尺1/120では、軌間は8.8mmとなり、現行のNゲージのレールの流用が可能である。もともとNゲージのレールはオーバースケール気味であるため、逆に1/120で利用しても違和感はない。

プロジェクトが開始した時点では、大手メーカーでTT9規格の製品を出しているのは天賞堂のみであったが、既存の規格のレールが流用可能で、動力ユニットなどの足回りについてもNゲージ用パーツが利用できる部分も多いからか、少しずつ製品もユーザーも増えているようである。

なお、このTT9の規格は、ヨーロッパでも「TTm」という規格(mはメーターゲージの意)として存在している。


フェロースイス



フェロースイスとは鉄道模型の精密ブラスモデルを供給するインポーター。 妥協を排したつくりは世界中で高く評価されている。

また、完全限定生産で再生産しない為、オークション市場ではプレミアがついて高値で取引されている。

かつて乗工社が供給していた時期もある。


朝日屋(あさひや)



朝日屋(あさひや)は、かつて大阪府にあった模型店(メーカー)。正式には朝日科学玩具工場という。戦前から戦後にかけて『科学と模型』誌を出版し、電動モータや蒸気機関で動く船舶模型、35mmゲージおよびOゲージの鉄道模型、及び部品類を製造販売。後に1/50の日本型Sゲージの規格を提案、製造販売していた。

模型船舶、機関車用蒸気エンジンや模型用モーター等の部品を供給し、日本の模型界の黎明期を支えた会社である。製品は外観は実物に忠実というよりティンプレート的な物が多く、構造は実際に実物同様の原理で作動する事に重点がおかれていた模様。当時としては珍しく、東のカワイモデルと並び、製品を供給するだけでなく啓蒙書として雑誌を発行する等の活動もしていた。カワイモデルが趣味としての模型製作に重点を置いていたのに対して朝日屋は科学教育教材の一つとして模型を扱っていた様子が伺える。(当時は模型は教材という見方が主流だった)<この辺り更なる考証の要有り>

特筆すべきは日露の戦役で日本海軍が使用したマルコーニ社製の無線機と同じ原理で作動する火花送信機とコヒーラ検波器を使用した無線操縦(ラジコン)の製作記事が既に昭和12年の『科学と模型』誌に掲載されていた事であり、恐らく我が国における最初のラジコンの製作記事であると思われる。(昭和5年、日比谷公園で陸軍の長山大尉が無線操縦の戦車を公開したこともある、又、標的艦攝津も演習時、無線操縦で操縦できた)この事からも模型雑誌の名前に「科学」という文字を入れることにより科学を積極的に応用する同社の先進性が伺える。(戦中、一般人の無線送信機の使用は禁止されていた筈だが検閲に引っかからなかったのだろうか?)

製品の価格帯は、当時の所得水準を考えると高額で実際に購入できたのは比較的恵まれた読者だったであろうと考えられる。しかし、連載されている製作記事は魅力的ですぐには実現できなくても創造力を育み、もたらされる知的好奇心は技術向上の励みになったであろうと思われる。『科学と模型』の執筆者はいずれも当時の産業界で活躍していた方達で、掲載される記事は工学理論的にも裏付けされた物であった。

戦前の『科学と模型』では欧米起源のOゲージよりも国産の35mmゲージを積極的に推奨する記事があり、当時の模型界を取り巻く様子が伺える。社会情勢により徐々に戦時色の強まった記事になっていく。又、戦局の悪化と共に紙質が悪化、項数も減る等、当時の様子が伝わってくる。読者からの投稿欄を読むと『科学と模型』の読者は内地のみならず広く台湾等、当時、日本の主権の及んでいた地域でも購読されていた事が伺える。

戦後、窮乏状態が続いたが、カワイモデルが進駐軍向けのHOゲージの線路、車輪を流用した16番の普及に貢献していった一方、朝日屋は1/50、22mmゲージの日本型Sゲージを提案、販売するが振るわず、その後休止に至る。空襲で周辺の製造基盤が失われ、インフレによる資材高騰が衰退に拍車をかけ、復興に必要な生活必需品に優先的に資材が割り当てられ、優先順位の低い模型関係は後回しにされた事も一因と思われる。

当時の製品は現存数が少ないが、我が国の青少年への科学、技術の啓蒙、普及に果たした役割は大きく、当時の読者層が戦後の復興、高度経済成長を支えた事は想像に難くない。

機玄

ショーティー



ショーティー は、鉄道模型で、車両の長さだけ縮尺より縮めた物。短縮型・短縮(化)車輛ともいう。

実際の車両を縮尺通りに作ると編成が長くなり、カーブを曲がりにくくなる為、長さだけを縮尺より縮める。短縮により小半径のカーブ通過が容易になり小スペースでの運転が可能になるという利点がある。

鉄道模型の黎明期において、ティンプレートの物に多く見受けられたが、実物に忠実な物が好まれる傾向が増した為、主流から外れた。 小半径のカーブを曲がり易くする目的の他、小型化によって構造の簡略化(ボギー車ではなく二軸車化)をして価格の低減を狙った製品も多い。OゲージやHOゲージでは本格的なスケールモデルが高価なため年少者には入手しづらいきらいがあり、それらのユーザーに初心者向けと題してカツミ等のメーカーからショーティー車輌(例:EF66を二軸車にしたEB66)とコントローラー、簡素なレールをパックにしたセットが出回っていた。

日本においては鉄道模型の主流がNゲージに移行すると、本格的なスケールモデルが入手しやすい価格で購入出来、小スペースで運転出来ることから、ショーティーモデルが製品化され市場に出回ることはほとんどなかった。HOゲージの入門用セットもNゲージの台頭とともに姿を消したので、ショーティーモデルの製品の供給は途絶えた。

しかし、近年ではBトレインショーティーやデジQトレインのように積極的にデフォルメした製品が一分野を形成しつつある。ライオネルのOゲージやレーマン製Gゲージ等はその典型であるが、玩具性を残しつつ高級品志向である事が伺える商品展開となっている。

またプラレール・スーパーレールについてもデフォルメモデルではあるものの、ショーティーの一種とみなされる。






関連項目
鉄道模型

Sゲージ



1/64,22.24mmゲージの鉄道模型。Sは3/16(Three Sixteenth)インチスケール、7/8(Seven Eighth)インチゲージ、1/64(One Sixtyfourth)の3つの頭文字から来ている。

日本国内では1947年頃、大阪の朝日屋が1/50,22.5mmで製品化していたが普及に至らなかった。これは、Sではなく、HIゲージと呼んでいた。また、アメリカではH-1ゲージと呼ばれた。それは、HOにならって、HIは1番ゲージの半分という意味であった。当時1番ゲージは45ミリということになっていたので22.5mmという軌間が決められた。一方、東京では1/65,22mmを企画する人たちもいた。しかし、1949年には広告も皆無になり、事実上消滅した。

しかし、欧米では今尚、根強い人気があり、American Flyer等のティンプレートの一方、スケール車両も愛好家向けに製品が供給されている。アメリカンフライヤーのティンプレートは、他のゲージとは異なり、当初より2線式で販売されている。 アメリカではスケールのSゲージの細密レイアウトも時々雑誌で紹介されていて、専業メーカも存在している。

1/64のナローゲージはアメリカで独自のジャンルを構築している。Sn3と呼ばれる14.3mmゲージのレイアウトがいくつか建設されている。



関連項目
鉄道模型


Gゲージ



Gゲージは、鉄道模型の縮尺と軌間を示す規格呼称のひとつ。Gはドイツ語のGross(大きい)であり、ドイツから盛んになったことを表している。当初は軌間45mm・縮尺1/22.5、2番ゲージのナローゲージとして製品化された。この規格はNEM規格のIIm(2番ゲージのメーターゲージナロー)に相当する。後に軌間が45mmながら異なる縮尺の製品も発売されたため、それらを含めて(誤用ではあるが)軌間45mmの鉄道模型全体を意味する用語としても使われる。

レーマンが、ヨーロッパのナローゲージの主流のメートルゲージを軌間45mm、縮尺1/22.5で売り出したところ、好評を博した。大きな模型が室内の小さなスペースで楽しめ、しかも必要とあらば庭園鉄道として使用できるよう十分な耐候性を持たせた線路部品が用意されていたので、大型模型のシェアを大きく広げるヒット商品となった。

一方2000年頃、Gゲージに触発されたアメリカのナローゲージファンは自国で主流の3ft(914mm)ゲージの模型を45mmの線路の上を走らせたいので、1/20.3サイズという縮尺法を生み出した。この規格はFn3ゲージと称される全く新しい縮尺であり、標準軌の鉄道車両と並べることを全く考慮していない。2005年現在、米国では1/20.3サイズが最も盛んであり、各種の車両が発売されている。

この他にも1/29(Aスケールと呼ばれる縮尺で規格上は49.5mm軌間だが実際には45mm軌間を使用する場合が多い)や1/24といった縮尺も使われている。

なお、Gゲージと同じ軌間45mmを使用する規格に1番ゲージがある。軌間が同じという事で玩具的にGゲージと一緒に楽しまれる場合もあるようだが、元来は別々の規格である。他に45mm軌間を採用する鉄道模型としてメルクリン社のMAXIシリーズがある。レーマンや多くのメーカーが一部を除き大半がプラスチック製であるのに対し、ティンプレートで出来ている。(耐蝕性を高める為、亜鉛コーティングなのでブリキというよりトタンと言った方が適切かもしれない)

近年、拡大傾向にあり、BRAWA(ブラヴァ)社からもIImで製品が供給されている。



日本におけるGゲージ
日本において現在一般に入手できるGゲージの完成品は海外から輸入される外国製品のみであり、車輛も外国型で楽しむこととなる。一方日本型の車輛を改造・自作するモデラーもいる。日本型のGゲージ車輛にはいくつかの縮尺が用いられているが、その中でも1/24スケールが有力である。

庭園鉄道として楽しむ人が多いが、庭だけだけでなく、ベランダに線路を敷いたり、室内にレイアウトを作って楽しむ人も多い。トロッコや産業用機関車といった急曲線での使用が想定された小型車両のモデルも多く、大スケールながら、意外と省スペースで楽しめるのも魅力の一つである。


狭軌(きょうき、Narrow gauge)



狭軌(きょうき、Narrow gauge)は、鉄道線路のレール間隔をあらわす軌間が標準軌の1435mm(4フィート8.5インチ)未満のものをさす。書物において「狭軌」の記述がある場合、京王電鉄京王線・京王新線・相模原線・高尾線・動物園線・競馬場線と京王相模原線に乗り入れる都営地下鉄新宿線、さらに東京都内と函館市で軌道線に採用される1372mmは除外され、1067mmを指すことが多い。特に、約3フィート(あるいは1m)未満のものは軽便鉄道として敷設されたものが多く、趣味的にナローゲージと云われる場合にこれを指す場合が多い(ただし軽便鉄道は、狭軌であることを要件とせず、標準軌路線も存在した)。

日本では、国有鉄道自体が狭軌であったため、国有化買収路線のなかに存在した762mm軌間の路線については特殊狭軌線と呼ばれた。







性質
実際、経済的なナローゲージを実現しようとすると約3フィート以下の軌間が必要となる。メーターゲージあるいは米国3フィートゲージと呼ばれる軌間が一般的であるが、他にも各種の軌間がみられる。例えばインドの鉄道では610mm(24インチ)軌間と762mm(30インチ)軌間の路線が3794kmにもわたって存在する。

これらナローゲージは、より小型の車両や機関車、橋梁やトンネル、小半径の曲線を採用することにより線路施設の構造をより軽量化できるため、路線コストを低廉化することが可能である。このため、森林鉄道ではしばしば採用される。同様に、軽量構造は林業に適する。木材の伐採が終わったら線路は移動しなくてはならないからである。いくつかのナローゲージの森林鉄道は、実質的には森のなかを路盤無しで支脚だけの上に敷設された。鉱山でも同様の理由からナローゲージが用いられる。

第一次世界大戦時には、同盟国、連合国の双方とも前線での輸送用に狭軌の鉄道を盛んに建設した。戦後のヨーロッパでは、その資材を流用した狭軌鉄道が一時流行した。


主な狭軌
508mm(20インチ)
600mm
610mm(24インチ=2フィート)
762mm(30インチ=2フィート6インチ)「ニブロク」、「特殊狭軌」
914mm(3フィート)
1000mm「メーターゲージ」
1067mm(3フィート6インチ)「三六軌間」
1372mm「馬車軌間」
このうち幹線鉄道に用いられるのは914mm以上のもので、英語ではmedium gaugeとも呼ばれる。日本などイギリスから鉄道技術を導入した国では1067mmが主に用いられ、フランスなどのヨーロッパ大陸諸国の影響下の国では1000mmが、アメリカ合衆国の影響下にあった国では914mmが用いられる傾向にある。

なお、営業用として運行される鉄道で最も狭いゲージは381mm(15インチ)で、イギリスのロムニー・ハイス&ダイムチャーチ鉄道が有名である。(英語版Wikipedia:Romney, Hythe and Dymchurch Railway)日本の静岡県伊豆市修善寺にある虹の郷には、この鉄道と同規格の車両による園内路線が敷設・運行されている。



三六軌間
後述するように、日本で多く用いられている軌間は1,067mmであり、一般に「三六軌間」と呼ばれている。3フィート6インチから来たものである。

ドイツでは、この軌間を最初に用いたノルウェー人Carl Abraham Pihlのイニシャルにちなんで、Kapspur(ドイツ語:CがKに書き換えられている)と呼ばれている。

また、英語ではcape gaugeと呼ばれる。英国の植民地であったケープタウン周辺(南アフリカ)で用いられていたことに由来している。



日本の三六軌間
日本の大多数の路線は1,067mm(3フィート6インチ)軌間で敷設されている。これは、まだ国力の弱い日本の経済実情と山や河川の多い地理事情に合わせただけという見方が一般的である。 イギリス本国においても、狭軌は炭鉱のあったウェールズ地方などの山間部で、地形に適した鉄路として採用されているため、山が海岸に迫っていて平地が少なく海岸線も入り組んでいることから、トンネルや鉄橋を多用しなければならなかった日本で狭軌を採用することには、合理性がある。 鉄道導入にあたって技術指導を求めたイギリスが植民地において採用した軌間であるため、文明の遅れた植民地並みと見なされたというとらえ方もあるが、日本はイギリス以外にアメリカやドイツから鉄道車両や技術を輸入している為、この見解は疑問である。日本の鉄道開業も参照のこと。

その後、鉄道院時代に総裁後藤新平の指示で、島安次郎らによって標準軌への改軌の技術的な検討もされたりしたが(改主建従)、地方への鉄道敷設推進による政権支持の確保という、政治的な理由から、一ランク低い規格のまま、全国的な鉄道網の建設が続行された(建主改従)。日本の改軌論争も参照のこと。

地方鉄道法により、使用できる最大のゲージが狭軌に制限されていたため、私鉄を含めて狭軌が広まった。この制限は、後で政府が私鉄を買い上げて国有鉄道に一体化することを前提としていたからである。また、場合によっては相互乗り入れによる物資と人員の輸送を可能にすることも想定していたからでもある。

関西地方の私鉄に標準軌が多いのは、地方鉄道法によらず軌道法の拡大解釈に基づいて専用軌道を敷設したことによる。しかし(他地区も含めた)標準軌路線であっても、車両限界は国鉄と同じか、それ以下であることも多い。この場合、トンネル断面積や駅の設備など、結局建設コストに大差はなく、「イギリスの植民地扱いで日本は狭軌になった」説の1つの根拠になっている(実際、これらの私鉄は初期にはヨーロッパではなくアメリカから車両を輸入しているケースが多い)。

その後、新幹線計画においては高速化を実現するために、狭軌ではなく標準軌で建設された。

1,067mm軌間を採用する主な路線は次の通り。

JRグループ/日本国有鉄道および旧国鉄・JR路線を転換した第三セクター鉄道(新幹線・博多南線および新在直通区間を除く。一部三線軌条)
東京地下鉄(銀座線、丸ノ内線を除く)
札幌市交通局(札幌市電一条・山鼻西・山鼻線)
仙台市交通局(仙台市営地下鉄南北線)
京王電鉄(井の頭線のみ)
東京急行電鉄
小田急電鉄
箱根登山鉄道(小田原駅〜箱根湯本駅間のみ)
西武鉄道
東武鉄道
相模鉄道
東京都交通局(都営三田線のみ)
東京臨海高速鉄道(りんかい線)
首都圏新都市鉄道(つくばエクスプレス線)
名古屋鉄道
名古屋市交通局(鶴舞線・桜通線・上飯田線)
名古屋臨海高速鉄道(あおなみ線)
京阪電気鉄道(鋼索線のみ)
南海電気鉄道
大阪府都市開発(泉北高速鉄道線)
近畿日本鉄道(南大阪線・吉野線・伊賀線・養老線・生駒鋼索線等)
西日本鉄道(現在は貝塚線のみ)
豊橋鉄道
静岡鉄道
富士急行
伊豆急行
伊豆箱根鉄道
遠州鉄道
えちぜん鉄道
富山地方鉄道
弘南鉄道
津軽鉄道
十和田観光電鉄
くりはら田園鉄道
神戸電鉄
福岡市交通局(空港線・箱崎線)
鋼索線(箱根登山鉄道鋼索線・伊豆箱根鉄道十国鋼索線・鞍馬山鋼索鉄道・能勢電鉄妙見ケーブルを除く)
岡山電気軌道
伊予鉄道


日本以外の三六軌間
1067mmの軌間を採用する国・地域の例は次の通り。

アジア
台湾
香港(市街電車のみ)
フィリピン
インドネシア
ロシアのサハリン州
オセアニア
オーストラリアのクイーンズランド州、西オーストラリア州、南オーストラリア州、タスマニア州
ニュージーランド
アフリカ
コンゴ民主共和国、ザンビア、モザンビーク以南の南部アフリカとタンザン鉄道 - ただし南アフリカ共和国ではメートル法の採用時に軌間を1065mmと定めているが、実質は同じである。
スーダン
ナイジェリア
ガーナ
ラテンアメリカ
コスタリカ
エクアドル
ハイチ
アメリカ合衆国では、サンフランシスコのケーブルカーがこの軌間で現存している他、1963年まで存在したロサンゼルスの市街電車や、1950年まで運行されていたデンバーの市街電車の軌間が1067mmであった。

ノルウェーやスウェーデンでは19世紀に1067mm軌間の鉄道網が作られたが、後に改軌された。カナダのニューファンドランド島には1988年まで1067mm軌間の鉄道が存在した。



馬車軌間
この他の日本の狭軌線には1372mm軌間がある。その出自から馬車軌間とも呼ばれ、標準軌・旧国鉄採用軌間とも違うことや使用線区の特殊性から偏軌・変則軌道とも言われる。また、東京とその周辺では一時広く採用されたのに対し、国内のみならず世界的に見ても、それ以外での使用例がきわめて少ないことから、東京ゲージの呼称を提唱している鉄道史家もいる。

これは東京馬車鉄道(この時代の軌間は767mmあるいは737mmとされる)の路線網を引き継いだ東京電気鉄道が東京初の電車を走らせ始めたときに用いられた規格で、その路線は後に東京市電気局を経て東京都電などに引き継がれた。

2005年現在、これを採用している鉄道会社・路線には次のようなものがある。

京王電鉄(井の頭線を除く)
東京急行電鉄(東急世田谷線のみ)
東京都交通局(都営新宿線および都電荒川線のみ)(新宿線は京王線との直通運転をする際に路線の幅を京王線に合わせるため馬車軌にした。)
これらは東京都電とのつながり(直通、車両の流用)から採用された。特に京王電鉄については、その創業期に東京市電への乗り入れを計画したため1372mmを採用し、地方鉄道として開通させた府中駅〜東八王子駅間では1067mmから1372mmへの改軌もしたが、乗り入れは実現しなかった。後に都営新宿線を建設する際、相互乗り入れを予定している京王帝都に対して1435mmへの改軌を要求したが、(営業運転を継続しながら改軌に成功した1950年代の京成に比べ)1970年代の京王線のダイヤと車両数では営業を続けながらの改軌工事が不可能であったことなどから拒否され、都営新宿線の方が京王に合わせて1372mm軌間を採用したという経緯がある。
函館市交通局
過去の例としては以下の鉄道会社・路線がある。

京浜急行電鉄は、その前身である京浜電気鉄道時代の一時期(1904年〜1933年)に、1372mm軌間へと改軌し東京市電に乗り入れていた。
京成電鉄では都営地下鉄1号線(現浅草線)乗り入れ前の1959年に標準軌に改修するまで採用していた。王子電気軌道(現在の都電荒川線)への乗り入れを構想していたためである。
京成の子会社の新京成電鉄は、1947年に1067mmで開業した後、1953年、京成に合わせて1372mmに改軌し、さらに京成と同じく1959年には標準軌に改軌している。
現在の東急世田谷線の本線に当たり、1969年に廃止された東急玉川線も同じ軌間であった。
横浜市交通局(横浜市電)、1972年廃止。
西武鉄道(旧)大宮線。東京市電の払い下げ車を使用していた。並行して省線川越線が開通したため1941年廃止。


特殊狭軌
日本で1067mm未満の軌間を採用している路線で、現存するものには次のものがある。

普通鉄道線
近鉄内部・八王子線 (762mm)
三岐鉄道北勢線(762mm、2003年4月1日近畿日本鉄道から移管)
黒部峡谷鉄道本線 (762mm)
工事用軌道・森林軌道
安房森林軌道 (762mm)
国土交通省立山砂防工事専用軌道 (610mm)
かつて存在した路線は非常に多く、第二次世界大戦中に不要不急路線として廃止されたもの、1960年代前後に道路交通の整備により役目を終えて廃止されたものがあった。

旧日本陸軍鉄道連隊、後の新京成電鉄(762mm、1946年に1067mm、1953年に1372mm、1959年に1435mm(標準軌)に改軌)
根室拓殖鉄道(762mm、1959年廃止)
歌登町営軌道(762mm、1971年廃止)
花巻電鉄(762mm、1969年廃止)
磐梯急行電鉄(762mm、1969年廃止)
湘南軌道(762mm、1937年廃止)
九十九里鉄道(762mm、1961年廃止)
越後交通栃尾線(762mm、1975年廃止)
草津軽便鉄道(後の草軽電気鉄道)(762mm、1961年廃止)
尾小屋鉄道(762mm、1977年廃止)
静岡鉄道駿遠線(762mm、1970年廃止)
遠州鉄道奥山線(762mm、1964年廃止)
三重交通松阪線(762mm、1964年廃止)
三重電気鉄道湯の山線(762mm、1964年に1435mm(標準軌)に改軌)
安濃鉄道(762mm、1944年休止)
中勢鉄道(大日本軌道伊勢支社、762mm、1943年廃止)
赤穂鉄道(762mm、1951年廃止)
西大寺鉄道(914mm、1962年廃止)
下津井電鉄(762mm、1990年廃止)
井笠鉄道(762mm、1971年廃止)
鞆鉄道(762mm、1954年廃止)
国内の鉱山では610mm軌間の物が多い。坑内では508mmを採用していた所もあるようである。 工事現場で使用された手押しトロッコの軌間には主に610mmと508mmであり、機関車を用いた 工事用軌道は610mmと762mmが多い。



日本における狭軌の保存鉄道
千葉県成田市にある成田ゆめ牧場において、狭軌鉄道(610mm)の保存が行われている。
762mm軌間のものは石川県小松市に尾小屋鉄道の動態保存があるほか、森林鉄道など全国で数カ所の動態保存がある。(詳しくは軽便鉄道の項を参照)


関連項目
日本の改軌論争
軌間
標準軌
広軌
軽便鉄道
大日本軌道
雨宮敬次郎

Zゲージ(ゼット - )



Zゲージ(ゼット - )とは鉄道模型の規格の一つであり、線路の幅(軌間)が6.5mmで、縮尺がおよそ1/220のものをいう。Zはこれ以上小さいゲージはないという意味でつけられている。 一般的に手に入る鉄道模型製品(除く電池式)としては最小のものであり、鞄の中にも収まるくらいのレイアウトが可能。

この規格は、1972年よりメルクリン(ドイツ)が「ミニクラブ」の名で製品を発売したものであるが、販売開始から30年以上の間、線路・パワーパック・車両など、鉄道模型のシステム全てを取り揃えているのはメルクリンだけであった。

その他のメーカーでは、Peco(イギリス)がフレキシブル線路を、マイクロトレインズ(アメリカ)がアメリカ型ディーゼル機関車と貨車、道床式Zゲージ線路を発売している。

日本ではこれまで全く動きがなかったが、2006年4月、アキア(現プラスアップ)が、車輛単品と線路を付けた食玩「ZJゲージ」を発売し、5月からは対応パワーパックも発売している。また同年、タカラトミー(タカラブランドで発売)がZゲージ相当の軌間6.5mm線路と編成のセットで電池式の「マイクロゲージ」を発売している。

また、2007年2月14日、モデルガン・エアーソフトガンメーカーの東京マルイがZゲージへの参入を発表。試作品を公開した。 PRO Zというブランド名で各種製品を発売していく予定。






Zmゲージ
メーターゲージ(1000mmゲージ)をZスケールで模型化したもの。ゲージは4.5mm。



関連項目
U9規格
ZJゲージ

Nゲージ(エヌ-)




Nゲージ(エヌ-)とは線路の幅 (軌道の間隔・軌間)が9mmで縮尺1/148〜1/160の鉄道模型規格の総称である。小形模型のうち諸外国ではHOゲージ (OOゲージ)が主流だが日本ではNゲージがもっとも普及している鉄道模型である。






概要
Nゲージ名称の由来
数字の9をあらわすヨーロッパ系言語はそれぞれ英語 (Nine)、ドイツ語 (Neun)、フランス語 (Nuef)で、それぞれNから始まることからNゲージ、Nスケールという呼称がひろまった。日本でも1970年代には一般にも用いられるようになった。

Nゲージの規格・定義
Nゲージは9mm軌間の鉄道模型システムで、縮尺は各国・地域ごとに異なる。日本では1965年から縮尺1/150を標準としている。ドイツ、フランス、イタリアなどヨーロッパ大陸の国やアメリカなど標準軌を採用している国では縮尺1/160を基準としている。また、標準軌を採用した日本の新幹線のNゲージも縮尺1/160を標準としている。度量衡をヤード・ポンド法とする英国は縮尺1/148を標準とし、名称もOOOゲージ (OOO Gauge)を一般に用いる。



基本的なしくみ
Nゲージ鉄道模型は鉄道模型一般がそうであるように走る模型であり、動力に電気を用いた電動模型である。Nゲージ模型車輛の多くは直流2線式と呼ばれる仕組みで運転される。2本あるレールの片方を正極もう片方を負極とし、レールと接する車輪を通じてモーターやライトに電流を流す。レール間の電位差を0ボルトから12ボルトまで変化させて列車の速度を変化させる仕組みだ。また、レールのプラス電位とマイナス電位を逆転させると列車の進行方向も切り替わる。直流2線式と呼ばれるこのシステムは世界中の多くのメーカーが採用している標準的なもので、日本国内の全てのメーカーが採用している。したがって、Nゲージであればどのメーカーの車両でも同じNゲージ線路の上で一緒に使うことができる。Nゲージの電源装置はコントローラー (パワーパックやトランス等とも呼ばれている)と言い、家庭用100ボルト電源からNゲージ用に直流12ボルトをつくりだす。コントローラーは模型列車の走行や停止、速度調節、前進と後進の切り替え、ライト制御など様々な機能を持たせた製品が、入門向けの低価格品から大容量の高級機種にいたるまで種類も豊富に発売されている。

21世紀初頭にはエレクトロニクス技術の応用で新しい制御方式が誕生している。デジタルコマンドコントロール(DCC)と呼ばれる制御方式は海外で普及した新しい標準制御方式だ。国内でも海外とのつながりのあるメーカーなどを中心として紹介や普及活動が行われている。この方式は12ボルト電源を採用しながらも線路上にデジタル信号を送信して車両ごとの運転操作やライトの制御、サウンド制御を行うことができる。また、線路に流れる電圧は12ボルト一定なのでライトの明るさは模型列車の速度の影響を受けない。いままでの直流2線式の車両には小さなデコーダーを設置すればDCC運転を楽しめる。

外国にはNゲージ3線式の電動模型を発売するメーカーが一社あった。



特色
まず、小型であるが故に走らせる場合にスペースをとらないのが最大の利点である。日本型のNゲージ車輌の場合、その殆どが半径250mmのカーブを難なく通過するため、長編成でなければ90cm×60cm程度のスペースでも充分走行可能であり、狭いスペースでも鉄道模型を愉しむ事が出来る。そのことから、国内ではレイアウトの製作に最適なサイズの鉄道模型と考えられていて、多くのレイアウトが製作され鉄道模型誌に発表されてきた。レイアウト制作のためのガイドブックやプラン集、各種の材料なども揃っていて、日本国内ではNゲージが一番レイアウト製作に取り組みやすい。

次に、他のゲージの鉄道模型に比べ、圧倒的に製品の数が豊富かつ安価であることが挙げられる。もっともこれは日本でNゲージが主流だからであり、海外ではむしろHOゲージの方が製品の数が豊富かつ安価で、逆にNゲージ製品の方が高価な場合もある。



製品
日本ではKATO(カトー、関水金属)、TOMIX(トミックス、トミーテック・2000年まではトミー)が2大Nゲージブランドであり、それぞれ車輌から線路、パワーパック等の制御機器、さらには建物や樹木までを製品化している。初心者はこの2社のいずれかの入門セット(車輌と線路、パワーパック等を含んだセット)を購入して入門する例が多い。

他に車両中心でマイクロエース(旧称:有井製作所)、グリーンマックス、MODEMO(ハセガワ)、河合商会、ウィン等がNゲージ製品を発売している。

これらの製品は、百貨店、量販店の模型コーナーや、鉄道模型専門店で購入することが出来る。

この他にも上級者向けの少量生産の製品を作るメーカーが多数存在する。

車輛

プラ製キットの組み立て例
道床付き線路の例。架線柱は別売Nゲージの製品は、プラスチック成型による完成品が主流である。これらはプラモデルとは異なり、塗装が施された上で組み立て済となっているが、機関車などは細かいパーツ(ナンバープレート等)は購入したユーザーが取り付けるようになっている製品も多い。前照灯や尾灯、室内灯が点灯もしくは点灯可能な製品も多く、前照灯の点灯については、3大メーカーの製品では古い製品を除き標準装備となっている。
また、プラモデル同様に自分で接着剤を使って組み立て、塗装するプラ製キットも発売されており、工作派のファンには根強い人気がある。
プラスティック製品の他に、金属製(主に真鍮)やレジンの完成品及びキットも発売されている。
動力は基本的にはモーターで、金属製のレールから電力を取得して動く。海外の製品には、架線から電力を取得するもの(=架線集電システム)もあるが日本国内では採用例は無い。(TOMIXが極初期に対応架線柱(樹脂製)・架線(金属製)を発売していたが、結局対応車両の製品化は無く、普及せずに絶版となった。)
線路
大きく分けて道床付き線路と道床無し線路に分けられる。両者の違いは、道床無し線路がレール(軌条)とはしご状に作られた枕木部分だけで構成されているのに対し、道床付き線路は枕木の下の道床部分も土台のような形で一体となっている点である。道床なし線路には組線路と呼ばれる一般の線路のほかに長尺で自由に曲げることも出来るフレキシブルレール(線路)がある。
Nゲージ初期には道床無し線路しか無かったが、日本においてはTOMIXが道床付き線路を発売、これが急速に普及し、KATOなど他社も追随して独自の製品を発売した結果道床付き線路が一般的となった。以後道床無し線路はレイアウトを中心に使用されてきたが、レイアウトにおいても次第に道床つき線路が使用されることが多くなってきている。今や道床無し線路が使われるのは、道床付き線路では不可能な緩やかで自然なカーブをフレキシブルレールで作る場合くらいである。そのため道床無し線路の需要は減少し道床付き線路に比べて取り扱う店舗も少なくなってきている。
発売メーカー:主流の道床付き線路についてはTOMIXとKATOの大手二社が製品を展開している。一方の道床無し線路はKATOの「固定式線路」が入手しやすく、海外メーカーながら、イギリスのPecoの製品も多くの鉄道模型専門店で取り扱いがある。またレールの専門メーカー「篠原」からも製品が発売されている。この他、マイクロエースからは小型の集合式レイアウトとしても楽しめる「ジオラマレール」が発売されている。
コントローラー
パワーパック、パワーユニット、トランスとも呼ばれる制御機器で、以前はHO/16番等で製品を発売していたメーカーの物も見られたが、現在ではレールにあわせてKATO、TOMIXどちらかのメーカーの製品を使うのが一般的である。
ストラクチャー(鉄道模型のレイアウト・ジオラマなどの制作に使われる建造物の模型)
プラスチック製の完成品がTOMIX、KATO、津川洋行から、プラモデル状のキットがグリーンマックスから発売されている。また、外国製品や縮尺がNゲージに近いプラモデルなども使用出来る。
アクセサリー
自動車、人形など鉄道車輛・ストラクチャー以外のNゲージサイズの模型製品全般を指し、主にレイアウト・ジオラマの製作に使われる。日本においてはKATO、TOMIX、グリーンマックス、津川洋行といったメーカーから、自動車はバス、トラックから自転車まで、人形は鉄道員、一般の通行人から牛、犬など動物まで製品化されている他、電柱、自動販売機、ドラム缶、ポリバケツなど様々なものが模型化されている。日本以上に製品が豊富な外国メーカーの製品も輸入・販売されている。
シーナリー用品
レイアウトやジオラマ製作に使われる部材のことで、地形や植生を表現するために用いられる。カラーパウダー、ライケン、コルクブロックが代表的な製品だがこの他にも多くの種類が製品化されている。トミックスの製品が以前から市場に広く流通していて、KATOも海外メーカー「ウッドランド・シーニックス」と提携して同社の製品をKATOブランドで発売している他、「ノッホ」の製品も取り扱っている。また、津川洋行、河合商会からも製品が発売されている。
縮尺が1/144に近いため、建造物、自動車、フィギア等は、ガンプラやWTM(ワールドタンクミュージアム)、航空機等の情景模型を製作する際に多用され、特にグリーンマックスなどの安価で改造が容易いストラクチャーキットは、他の模型ファンからも重宝されている。


楽しみ方
Nゲージ鉄道模型には様々な楽しみ方があるが、大きく分けると次のように分けられる。

運転を楽しむ
鉄道模型を楽しむ上で外せないのが運転する楽しみである。Nゲージにおいては小スペースでも運転が可能なことに加え、簡単に敷設ができ、安定した走行が得られる道床付き線路を使うことにより、テーブルの上や床の上でも運転を楽しむことが出来る。このようにテーブルや床の上に線路を仮設して楽しむ運転は「お座敷運転」等と呼ばれている。
情景のついたレイアウト上で車輛を走らせれば更なる満足感を味わうことが出来る。レイアウトはモデラー自身が制作・保有する場合が多いが、模型店のなかにはサービスの一貫として備え付けのレイアウトを来店客に開放している店もあり、数は多くないがレイアウトを有料で時間貸しするレンタルレイアウトもあるので、これらを利用してレイアウト走行をたのしむファンも少なくない。
さらに、最近では先頭車両に超小型のテレビカメラを仕込み、その映像を無線で受信するモニターテレビとコントローラーを組み合わせ、実車さながらの運転感覚を楽しむパターンも出現してきた。トミックスなどでは、それに対応した商品も販売している。
車輛を収集する
Nゲージで製品化された車輛は日本型だけでもかなりの数にのぼる。これをミニカーのように収集する楽しみ方もある。人によって集め方は様々で、自分の好きな地域・国、年代、鉄道会社、模型メーカー、車種、列車、形式などテーマを決めて車輛を集めている。収集やコレクションというと完成品を購入して観賞するというイメージがあるが、鉄道模型の場合、欲しい車輛を改造・自作する場合もあり、テーマにあわせたレイアウトを作りコレクションを走らせる楽しみもある。
車輛工作を楽しむ
鉄道模型も含めた模型趣味の楽しみ方の基本的なものとして模型工作がある。日本の鉄道模型においては模型工作の対象の中心は車輛におかれていた。Nゲージにおいては誕生時、車輛の小ささから車輛工作を不可能視する見方が大勢だったが、モデラーのチャレンジ精神と初期の車種不足下での非製品形式への欲求から徐々に車輛工作を楽しむファンが増加して、Nゲージブームの頃には細密化(ディテールアップ)のためのパーツが発売されたり、鉄道模型雑誌に工作記事が掲載されるなど一般化した。
車輛工作といっても多種多様であるが、模型車輛をより実車に即した形態になるよう手を加える細密化加工、元の車輛から別の形式や仕様を作り出す車輛改造、プラスティック等の素材と部品(パーツ)から車輛をつくりあげるスクラッチビルド(車輛自作)に大別される。
レイアウトを製作する

集合式(モジュール式)レイアウトの例。合板の上に風景を作成し、隣のモジュールまでは道床付レールを接続している。鉄道模型においてもう一つの模型工作としてレイアウトの製作がある。特にNゲージはレイアウト製作が盛んで、国内ではスペースの確保の問題からこの傾向が顕著であり、模型雑誌で発表される作品もNゲージを採用したものが多い。鉄道模型クラブの中にはメンバー共同で集合式(モジュール式)や分割式のレイアウトを製作しているところもある。個人では実現が難しい長大編成列車の運転可能なレイアウトもこのような方法をとれば実現が可能である。
また、路面電車や短縮(ショーティー)型車輛など小型車輛の製品が増加し小半径のカーブレールも発売されたことから、パイクとも呼ばれる超小型レイアウトの製作も増えている。これは同様のコンセプトの路面モジュールともども小スペース、短時間、小資材で手軽に出来るレイアウトである。
この他にも、メーカーやクラブなどが開催するイベントや運転会を見学したり、製品について出来栄えや使い勝手などの感想を交換するといったような楽しみ方もある。



歴史


黎明期
第二次世界大戦以前より、イギリスでは2mmスケール(1/152)、9.5mmゲージの鉄道模型を自作するファンがおり、日本でも熱心な工作派ファンが9.5mmゲージや8mmゲージの鉄道模型を自作し、模型工作雑誌や鉄道模型専門誌を通じて紹介されたことが幾度かあった。この当時はHOゲージでさえ超小型とみなされていた時代であり、これらはあくまでも特殊な模型(今で言えばZゲージよりも小さい模型を自作するような感覚か)として存在したに留まる。

戦後、各国共にそれまで主流であった1番ゲージ(45mm軌間)や0番ゲージ(=Oゲージ。32mm軌間)等の大型の鉄道模型から、より小型の16.5mm軌間のHOゲージやOOゲージが主流となり、日本でもHOゲージ(正確には16番ゲージ)が急速に普及するに至った。

さらに、HOゲージより小さな模型としてTTゲージ(1/120・12mmゲージ)が登場し、ヨーロッパでは製品が発売され、日本でも1960年代初期には自作するファン(日本型は1/105〜110程度の縮尺を用いた)が少ないながらも出現。また海外のTTゲージ製品が輸入され売られていたこともあった。しかし間もなくTTゲージより小さな鉄道模型としてNゲージが製品化され、TTゲージは(東欧の一部諸国を除き)衰退することとなる。

世界で最初のNゲージと呼びえる電動模型システムは1960年代初頭、イギリスにおいて「ロンスター」ブランドで発売された「Treble-O-Lectric」シリーズ(1/152・9mmゲージ)であるが、西ドイツ(当時)の「アーノルトラピード」が1962年に1/160・9mmゲージを発売したのが、Nゲージの本格的スタートであるとされており、同社はこのゲージのパイオニアとして名を残すこととなる。

この新しいゲージは、軌間である9mmの9(ドイツ語でneun、フランス語でneuf、英語でnine)の頭文字を取り、「Nゲージ」と名付けられた。(なお、イギリスでは当初は「OOOゲージ」と称していた。また日本では当初「9mmゲージ」と呼称されており、「Nゲージ」という呼び方が一般的になるのは1970年代に入ってからである)

このような鉄道模型は徐々にダウンサイジングしていき、のちに1970年代初頭に西ドイツ(当時)のメルクリンがNゲージよりさらに小さなZゲージ(1/220・6.5mm軌間)を製品化するが、あまりに小さくまた高度の生産技術を要するためか、ごく最近までメルクリン以外にZゲージ製品を発売しているメーカーは皆無に近く、製品の数やファンの数でNゲージやHOゲージを凌駕するには至っていない。(ただし近年、成型技術の向上やモーターの小型化もあってか、日本においてZゲージに参入するメーカーが出現している)

海外でこのような超小型鉄道模型(当時の感覚としては)であるNゲージが製品として発売されるようになった事は日本でも『鉄道模型趣味』誌(以下、TMSと略)等で紹介され、熱心な工作派モデラーである池末弘が国鉄C59形蒸気機関車をスクラッチビルドしてTMS誌に発表し、大きな反響を巻き起こしたのもこの頃である。



1960年代
日本国内での量産開始
1960年代に国内で9mmゲージの流通が始まった。しかし数量はごくわずかだった。9mmゲージがNゲージとして一般に認知され普及を迎えたのは1970年代に起こったNゲージブームからだった。

1960年代国内の3社が9mmゲージ製品を販売した。

関水金属
加藤祐治が経営する関水金属(KATO、カトー)。1957年から1967年まで関水金属彫工舎。 加藤佑治は有能な模型愛好家として知られ、交通博物館で技術賞を受賞するなどしていた。加藤佑治は1940年代〜1950年代にかけて加藤金属の設備でHOゲージ、Oゲージの鍛造 (ドロップフォージング)台車を製造しその走行性能の高さは国内外によく知られていた。国内メーカーからの受注が増加し個人向けの小規模な生産は行われなくなり、加藤金属の名を出さずに国内メーカーへのOEM供給に徹した。

関水金属は金属加工技術を生かしてあらたにプラスチック射出成型による小型鉄道模型の生産を計画した。小形スケールのHOゲージ、TTゲージ、9mmゲージで試作品を製作し、鉄道模型趣味の主筆山崎喜陽のアドバイスを得て9mmゲージ・1/150での製品化を決定した。関水金属は1965年に国鉄C50形蒸気機関車とオハ31客車、線路を発売した。C50はスケールモデルとして発売され日本規格Nゲージが定まった。また1965年は日本におけるNゲージの創始として語られることが多い。

当時はHOゲージが小形模型として一般的に認知され、HOゲージよりさらに小形の9mmゲージはきわめて特殊な存在だった。加藤は完成したC50を披露した知人から「グリコのおまけ (キャラメルのおまけ)じゃないか」 と言われがっかりしたと当時を証言した。しかし、製品を高評価したのは米国で、C50形も海外向けのほうが格段に多く売れたと言われる。関水金属は1968年に出荷されたALCO PA-1と貨車を最初としてアメリカ形Nゲージの輸出を開始し、当時の外国メーカーと同様に北米大陸にNゲージの大きな市場を求めることになる。

トミー (富山)
玩具メーカーのトミー(TOMY、現タカラトミー)。1963年頃にトミーの前身富山は「高級電気玩具 OOOゲージ 新幹線 夢の超特急セット」と称する新幹線3両編成のセット(線路とパワーパックも含まれる)を発売した。OOOゲージは英国のローンスターが用いた9mmゲージ模型の名称で、現在も英国では一般的な9mmゲージ模型の呼称である。当時としては画期的な電気玩具だったが、実験的なものであってこの時点ではそれ以上の展開は無かった。

ソニー (ソニー・マイクロトレーン)
音響/通信機メーカーのソニーは1964年8月に鉄道模型専門の子会社マイクロトレーンを設立した。ソニーのエレクトロニクス技術を生かして一般家庭まで流通可能な鉄道模型の量産を計画した。

マイクロトレーン社は国鉄ED75形電気機関車と国鉄スハ43系客車 (短縮型・ショーティー)、線路とパワーパックを開発し、製品のサンプルが配布された。しかし、マイクロトレーン社は1965年10月末に解散を決議した。ソニーマイクロトレーンは中止された。井深大は関水金属のC50の出来栄えのよさに驚嘆し販売中止を命じた。また、中止の理由はアフターサービスに掛かる経費の問題であったとも言われる。金型は廃棄を命じられたが、加藤佑治は金型処分に立ち会った記念としてリレーラーの金型を持ち帰った。

Nゲージ普及前夜の国内状況
1960年代後半から1970年代前半まで関水金属が日本で唯一のNゲージメーカーだった。デパート等の売り場では、西ドイツのアーノルト (Arnold Rapid)、ミニトリックス (MiniTrix)」、イタリアのリマ (Lima)等の海外製品が輸入販売された。Nゲージ製品はごく少数であり、関水金属が発売した日本形も限られた。日本で最初期にNゲージを購入した世代は海外製品を日本型に見立てたりあるいは無国籍的に楽しんだ。

また、1967年に関水金属の加藤祐次は欧州を訪れNゲージカプラー (連結器)の統一を提案した。ニュルンベルクのミニトリックス本社に各国のNゲージメーカー、バイヤーが集まり意見が交わされた。ニュルンベルクでの合意でNゲージカプラーの標準をアーノルトカプラーに統一することが決定された。Nゲージにおける標準カプラーととしてアーノルトカプラーはメーカーを問わない標準カプラーであり続けている。



1970年代
Nゲージ新規参入メーカーとNゲージブーム
トミーは1970年代初期にアメリカのバックマン (Bachmann)社のNゲージ製品を輸入販売するようになった。トミーはバックマン製品を製造するケーダーにNゲージ生産を求め、1974年にトミーナインスケールブランドで日本形車両を発売した。1976年には本格的にNゲージ総合メーカーを目指すこととしブランド名をTOMIX(トミックス)に改めた。1977年に発売された道床式レールシステムトミックスレールはのちのNゲージ普及にきっかけを与えた。

関水金属は国内メーカーの参入を待たずに日本形Nゲージ車両の製品構造・部品構成を確立した。関水金属は日本形Nゲージ車両の設計を試行し続け1971年には具体的方向性を定め、1975年にキハ82系を発売した。キハ82系ははめ込み式窓ガラス、ライト類点灯構造を標準とした。また、関水金属は細い手摺りの繊細な表現と耐久性を両立したタキ3000型タンク車、DD13ディーゼル機関車を発売し、カトー製品は国内Nゲージ製品の技術的指標であり続けた。

1970年代半ばには東京・板橋の模型店ホビーショップMAXが国鉄オハ61系客車のプラ製組み立てキットでNゲージに参入。まもなくグリーンマックス (GREEN MAX)と改名し、客車や電車のプラキットや日本型建造物のキットを続々と発売するようになった。

また西ドイツのミニトリックスのNゲージ製品の輸入発売元であった学習研究社が、ミニトリックスのモーターを使用した0系新幹線を発売、日本型Nゲージに参入する。学習研究社は続いて国鉄583系電車、国鉄485系電車といった特急電車、国鉄EF57形電気機関車を発売した。

ほぼ同時期にHOゲージメーカーであるエンドウ (ENDO)がNゲージに参入。国鉄EF58形電気機関車と道床付線路システムを発売する。これらは他のNゲージ製品と異なり、同社のHOゲージと同じく金属プレスを主体とした構成であった。Nゲージ以前の日本の鉄道模型は大半が金属製品であり、当時の日本の鉄道模型ファンの一部にはプラ製品に対するアレルギーが存在した。その為、同社製品はそういったファンの支持を受けるかとも思われたが、組立に手作業(はんだ付け)があるため他社のプラ製Nゲージと比較して割高であり、かつ金属プレスではNゲージのスケールでは細密感に限界があった為か、関水金属やトミー製品程の支持は得られなかった。そのため、EF57、DD51、24系客車、キハ30系気動車、9600型蒸気機関車、201系電車といった国鉄型から、次第に近鉄3000系、都営10-000系、京王5000系などといった、関水金属やトミーと競合しない私鉄電車に主力製品をシフトしていく。特に金属製品ならではの、メッキによるステンレス車体の表現はすばらしく、評価が高いものであったが、主流にはなれなかった。

イタリアのメーカー、リマが国鉄485系電車を発売したのもこの頃で、海外のメーカーが自社ブランドで日本型のNゲージを模型化することは、非常に珍しい。

1970年代後半からブルートレインブームとも連動したNゲージブームが社会現象となりしなのマイクロ、プラモデルメーカーの永大 (EIDAI)がNゲージに相次いで新規参入した。

しなのマイクロは、エンドウと同様に金属製品でNゲージ界に参入した。プレスを主体としたエンドウに対し、エッチング技術が得意だった同社は、HOゲージの生産をほぼ中止してNゲージに移行したが、当初発売したED17、ED15などの旧型電機シリーズは、当時若年層が多かったNゲージユーザーの嗜好とは開きがあったためか、それほど人気とはならなかった。その後、国鉄157系、阪急6300系など新型電車をシリーズ化したものの、どうしてもプラ製品に比べて割高である上、ディテール表現に優れたプラ製品を見慣れたNゲージファンにはやはり物足りなく、1980年に倒産してしまう。同社はその末期に、他社同様のプラ製品で勝負しようと考えたと思われ、プラ製による国鉄EF64-1000番台電気機関車、国鉄ED78形電気機関車、国鉄185系電車等の発売を計画していた。これらのプラ製品は同社がプラモデルメーカーの有井製作所の傘下に入り、マイクロエースと改名した後に発売されている。なお、しなのマイクロは倒産直前に自社のNゲージ製品にマイクロクス (Mycrox)というブランド名を付けるなど、Nゲージ部門の更なる拡充を目指していたようで、プラ製品の計画もその一環であろうが、出展を予定していた鉄道模型ショウ開催直前に同社が倒産してしまったため、計画の全貌が明らかになることは無かった。

永大はエーダイ・ナインのブランド名で、国鉄ED75形電気機関車、国鉄EF65-1000番台電気機関車、国鉄キハ58系気動車、国鉄キハ40系気動車、国鉄14系15型客車といった車輌を製品化したのみならず、TOMIX同様のプラ製道床付線路システムや、それと組み合わせる駅などの建造物も発売した。車輌の出来は当時のTOMIXよりも良い部分もあり、関水金属やトミーと並ぶNゲージ大手になるかと期待されたが、1980年に倒産。鉄道模型が原因ではなく、TVゲーム機での赤字が原因と言われている。

永大のNゲージ製品は学習研究社が引き取り、永大倒産時に製品化準備中だった国鉄キハ55系気動車、国鉄EF60形電気機関車も含めて「GAKKEN N」として、自社の製品ラインナップに加える事となる。学研はその後も、サウンドシステムや2列車同時運転が可能な「ICSコントロールシステム」といった製品を発売するが、ファンの間に普及するには至らず、学習研究社自身による車両の新製品が企画されることもなくなってしまう。

1980年代に入り、やはりHOゲージメーカーである中村精密(後の「ナカセイ」)がホワイトメタルを多用した金属製蒸気機関車でNゲージに参入する。但し、しなのマイクロの旧型電機シリーズと同様、題材が渋すぎたのか、価格が高かったのか、当時はあまり人気が出なかった。しかしそれらの機関車に牽引させる素材として追加した、スハ32系客車のプラキットは、当時のGMのキットよりも部品精度がよく、ディテールの完成度が高いことなどから熱心なファンには歓迎された。スハ32系については相当な数の種類を製品化したものの、同社が本業(大手音響メーカーの有力な下請けであったと言われている)の不振により業務を縮小したことにより、結局数年で新製品の開発を停止した。ただし、同社の客車キットの金型はMODEMO(ハセガワ)に引き継がれ、現在では組立済み完成品として販売されている。

キ620形除雪車をプラスティック製完成品で発売したモア (MORE)や、プラモデルの技術を生かして本格的なNゲージの近鉄30000系プラキットを製品化した「オータキ」も、Nゲージ市場の拡大にあわせて参入したメーカーであるが、ともに一作のみで終わっている。またプラモデルメーカーの「童友社」も、バックマン製のアメリカ型車輛と線路、電池を電源とするコントローラーをセットしたNゲージセットを発売した。家庭用電源を使わないより玩具的な平易なNゲージシステムであったが、注目されること無く終わっている。

また、この頃工作派ファンに焦点を当てたパーツ会社も現れた。ナローゲージでその地位を固めていた乗工社からは D51重装備パーツ、C62−2改造パーツといった重厚な製品から、EF65−500にホワイトメタル製の貫通扉を 貼り付けるEF65−1000改造パーツといった珍品まで発売され、また、銀河モデルからは、信号煙管や常磐線用 列車無線アンテナ等の工作派マニア期待のパーツが製品化された。

当時の「L特急・ブルートレインブーム」とあいまった「Nゲージブーム」の盛り上がりは相当なもので、プラモデルメーカーの中にもNゲージサイズのL特急やブルートレインのプラモデルを発売する会社が、「フジミ」・「バンダイ」・「アオシマ」の様に何社も現れた程である。 また、鉄道模型、とりわけNゲージをテーマとした書籍が子供向けから大人向けまで何冊も一般の出版社から刊行され、新聞にNゲージの通信販売の広告が載るなど鉄道模型界以外の企業も参加した大きなムーブメントとなった。

Nゲージブームによって増大したファンの中には若年層も多く見られ、鉄道模型誌のレイアウトコンテスト等にも10代の応募者がめずらしくは無くなった。小・中学生にもブームは波及し、この時期、友達同士で集まって車輛や線路を持ち寄りNゲージで遊ぶことが日常的に行われていた。

このように、ブームにより飛躍的に普及したNゲージであるが、盛り上がりは一時的なものにとどまり、期待された大衆的なホビーとして定着するまでには至らなかった。ブームのピークは1980年から1981年で1984年頃には終息を迎えた。

Nゲージが大いに普及した1980年 (昭和55年)、加藤佑治は日本Nゲージ鉄道模型工業会を設立し自ら会長職についた。メーカーの垣根を越えてNゲージの普及と発展が目指された。また、前年の1979年 (昭和54年)東京科学技術館、大阪科学館で日本鉄道模型ショーが開催された。メーカー間共同でNゲージレイアウトが製作・展示されメーカーで異なるレールを結ぶ必要から、のちにカトー、永大はジョイント線路を開発・発売した。鉄道模型ショーはその後も開催され続ける恒例行事になった。



1980年代-1990年代
Nゲージブーム終焉とNゲージメーカーの動向
1980年代にNゲージブームと呼ばれた社会現象は終息しNゲージの需要は急速に落ち込んだ。1980年代半ばにはメーカー淘汰の時代がやってきた。しなのマイクロと永大がは倒産し、永大製品を統合した学研もNゲージから撤退した。しなのマイクロの後身のマイクロエースは活動をほぼ休止した。さらにHOゲージメーカーのエンドウは1980年代末にNゲージの生産を中止し、ナカセイ (中村精密)の製品も店頭から姿を消した。

Nゲージブーム終息後も関水金属、トミーはNゲージ総合メーカーとして存続した。関水金属は1980年に販売会社を分離し株式会社カトーを設立した。呼称は関水にかわってカトーが一般に定着した。トミックスは1980年代までにNゲージブランドとしてカトーに肩を並べ、Nゲージ2大ブランド時代を築いた。また、完成品ではなくキット主体のグリーンマックスは独自の地位で安定して存続した。

しかし、Nゲージメーカーがこの三社だけになった訳では無かった。まず特記すべきは「マイクロエース」=「有井製作所」である。同社は1990年代初頭に10系客車を再生産して健在を示していたが、90年代中頃に至りアメリカ型の機関車・貨車を発売、話題となった。これらはアメリカ「ライフライク」の製品のOEMで中国で生産されたものであった。更に1996年には国鉄D51形蒸気機関車を発売、以後コンスタントに国鉄型蒸気機関車を製品化する。これらの製品が中国製なのはライフライクの生産方式の影響である。なお、同社の名称であるが1980年初頭の発足時は株式会社マイクロエース、1980年代後半の10系客車再生産以降、発売元として有井製作所の名前が明示され、マイクロエースはブランド名となった。これが長く続いた後、現在は有井製作所が社名変更したため、再びマイクロエースが会社名となっている。

そのほかのメーカーでは1989年から1990年にかけてナカセイが一部の製品を少量再生産、同時に新バリエーションの「C51デフ付き」を発売、再生産品共々市場にもごく少量が流通した。これがナカセイ製品の最後の市場流通であった。 同時期プラモデル・情景素材メーカーの「河合商会」がトミーから発売され絶版となっていた香港製貨車シリーズを自社製品として発売して新規参入。90年代後半にはプラモデルメーカーである「ハセガワ」が「モデモ」のブランドでHO/16番ゲージに続いてNゲージにも参入。旧型客車や路面電車などの他社とはバッティングしないジャンルで勢力を広げている(但し旧型客車は、ナカセイのキットの金型を使用し、完成品としたもの)。「ウィン」が塗装済みプラキット、レイアウト用品の発売で知られた「津川洋行」が情景用の非動力完成品を発売したのもこの時期である。

金属キットの分野も引き続き活発で、金属キット発展の礎を築いたシバサキ模型は1993年の新製品を最後に閉店・廃業したが、新規参入や新製品の発売が相次いだ。内容的にも、当初の側板のみ・車体のみという構成のキットに加え、下回り・動力込みのトータルキットも現れた。1995年11月にはNゲージファンのための即売会形式のイベント、第一回JNMAフェスティバルが開催され、参加する金属キットメーカーも目立った。以後JNMAフェスティバルは毎年開催されている。新たな販売機会の提供を受けて、それまでのメーカー・模型店よりも規模の小さなグループや個人が作る金属キットも登場した。こうした小メーカーの製品はガレージキットとも呼ばれ生産数も少ないため、即売会などのイベントや特定の販売店、通信販売などでしか手に入らないものも多い。

金属キットの浸透は金属工作に慣れ親しんできた他のゲージ/スケールのファンをNゲージに呼び込んだが、完成品で楽しむことに慣れた従来からのファンの反応は複雑で、「欲しい形式のキットが発売されたのはうれしいが、慣れない金属キットを組み立てられるか不安」という声も聞かれた。ニーズに応えて特製完成品を用意するメーカーもあり、中でもワールド工芸は完成品の製造・販売に力を注ぎ、金属完成品のメーカーとしても認められるようになった。加えて90年代末期からは蒸気機関車のモデルを中心に市販のプラ製品には無いディディールをもつ細密製品として金属完成品を製品化する動きも見られる。参入メーカーにはHO/16番ゲージのメーカーとして著名な「天賞堂」など、他のスケール/ゲージで金属製完成品を製品化したことのあるメーカーが多い。

20世紀最後の年である2000年にはこれまで鉄道模型、とりわけNゲージではほとんど見られなかったレジンを素材として使った製品が、キットや完成品で複数のメーカーから発売された。その特性上少量生産の製品が多かったが、「プラッツ」など一部のメーカーの製品は市場にも流通した。この素材が一過性のものとして終わるのか、定着するのか今後の動向が注目される。

こうした新規メーカーの参入や、既存メーカーの継続した新製品の投入により多種多様な製品が充実した状況で、Nゲージ界は21世紀を迎えた。



現況


中国製品の席巻
中華人民共和国は経済での改革開放をすすめ工業国として台頭、Nゲージ鉄道模型で中国製品は市場を席巻した。

休眠状態が続いていた株式会社有井製作所 (現株式会社マイクロエース)は1996年にD51を発売した。2000年代に入ると怒涛の勢いで新製品を送り出しはじめた。製品はすべて中国製のプラスティック量産品だった。従来、国鉄制式蒸気機関車は金属製の小規模生産品が大半を占めた。有井製作所は中国の安価な労働コストと旺盛な生産力を動員して国鉄制式蒸気機関車すべてをNゲージで製品化した。

また、マイクロエースは電車や気動車、客車、貨車も発売している。マイクロエースが2000年から現時点までの数年間で販売した車両の種類は国産メーカーがいままでの約30年間で発売した車種に匹敵するか既に凌駕している。製品はすべて特定番号車両で特定時代の仕様に忠実に設計された。車種選定は従来プラスティック量産品では採算ラインに乗らないとされた民鉄の車両、北海道や四国、九州などの特定地域の車両に及んだ。さらに、南満州鉄道あじあ号、映画やアニメの『銀河鉄道999』に至る今までにない種類の企画を行った。マイクロエース製品の再生産は全体のごく一部しか行われておらず、また、再度生産される車両の製品仕様やプロトタイプは変更されてきたため、一回限り生産の実質的な限定品的な性格も強い。

カトーは先に米国市場で他の中国メーカーと競合状態に入っていた。カトーは日本国内生産を継続することで対抗し、特定番号、時代ごとのプロトタイプの徹底を製品仕様に盛り込んだ。651系再生産では車体表記の細かな変更、屋上機器の撤去、床下塗装色味変更を実車の現在仕様に忠実に変更して特定仕様製品発売に道を開いた。また、日本形Nゲージ製品のその後の技術基礎となったキハ82を2005年の国産Nゲージ発売40周年にあわせて全面的に刷新した。サスペンション、フライホイール、DCCフレンドリーといった機構は電車、気動車の標準として導入され、カトーは時代の指標となる技術と製品水準を誇示した。カトーは2006年に車輪形状を徹底的に見直しフランジの低い特殊なローフランジ車輪を米国に続き日本でも標準採用したが、この新仕様はフランジが低く脱線しやすいと不評のため日本形での低フランジ採用をほぼ見送った。

トミックスはDD51でハイグレード製品シリーズとして初めて中国製品を導入した。ハイグレード製品の価格は高額であることを当然視され従来製品価格に対し2倍〜3倍の価格が通常だったが、DD51は旧製品に比べ50%以内の価格上昇に抑えられた。また現在でに、製品のプラスティック射出成形から組み立てまでの製造ラインをほぼ中国に移した。[要出典]トミーテックは少数グループ、特定地域・会社の車両の製品化を2005年に鉄道コレクションとしておなじく中国製品で実現し、コレクションシリーズでストラクチャーやバス、トラックを発売した。



転換点を迎えたグリーンマックス
一方、プラキットの形態で長年製品を供給してきたグリーンマックスは90年代後半より、より完成品に近い塗装済みキットを製品化していたが、2000年代にはいるとプラスティク製完成品を次々と発売してキットを作らないNゲージャーに対応している。製品のレベルはそれなりに高いが、他社と較べて高価格なのが欠点である。逆に未塗装プラキットの新製品は自社の系列店のみで限定販売される「クロスポイント」ブランドばかりとなり、形態も昔ながらのプラモデルスタイルの板キットよりも車体が一体成型されたものが多くなった。ただし系列店か通信販売での入手となるので未塗装キットそのものの市場が縮小しつつある。



流通と小売
1990年代後半から、従来の小規模模型店のほかに家電系量販店と玩具系量販店がNゲージの取り扱いをはじめた。量販店はNゲージでも定価からの値引き販売を行った。量販店は模型専門店に足を運ばない層にもNゲージを広め、新しいジャンルの鉄道模型のBトレインショーティーや鉄道コレクションも浸透させた。個人にとってNゲージの入手経路は多様化した。また、Nゲージ人口の裾野はより多様に広がった。

量販店は模型専門知識を備えたスタッフをほとんど持たない。一部の量販店はインターネット上に商品情報を詳しく紹介し、製品の入荷スケジュールを公表し始めてる。また、2000年代以降ウェブ上には新製品情報を紹介するブログ、製品の比較を主に行う個人ウェブサイトも出現している。

個人がNゲージ入手に要する価格コストは低下し人気商品はまたたくまのうちに市場に吸収されている。個人は新品在庫のない商品を中古市場に求めている。インターネットが普及し、再生産を行わない製品や高い人気によって品不足となった希少商品はネットオークションで取引されるようになった。オークションでの価格は市場原理で決定され、従来の中古Nゲージ販売店が販売経路をほぼ独占していた状態より中古品価格の透明性は高まった。同時に、投機的な買い占めや転売が問題となりつつある。



新たな形態の商品群の登場・Bトレインショーティーのヒット
尚、2002年になってNゲージでは従来あまり見られなかった「Bトレインショーティー」と呼ばれる車体を短縮したモデルがバンダイ(ホビー事業部)から発売された。Oゲージ・HOゲージではスケールモデルが高価・大型な為、カツミ等のメーカーから入門者向けセットと題した車体短縮モデルが発売されたが、Nゲージでは低価格で通常規格の車両を購入できる事もあり加えて小型車の特性上走行性能に完成品でもばらつきが有り、カトーのポケットラインシリーズ等を除いて殆ど流通していなかった。バンダイは過去に「ミニミニレール」と言うブランドで販売していたが、末期にプラレール・TOMIX・KATOが勢いを付ける様になり、一時期、鉄道模型からは撤退していた。

この商品の通常品は食玩同様ブラインドボックス販売を原則とし(中身を選べる物もある)、コレクションを主眼に置いた物である。しかしKATOの全面協力によりNゲージとの互換性を持たせ、台車や専用動力装置を取りつけるとNゲージでの走行が可能になる構造となっている。ディテールも本格志向で、妻板や屋根などを選ぶ事によって形式を選ぶ事が出来る物もある。また、車両の可愛らしさから、ジオラマと模型好きの女性のファン層が多くなって来ている。

又、当初から通常の店舗ではなく限定販売を視野に入れており(実際、発売第1号は江ノ島電鉄の限定品であった)、各私鉄各社とタイアップして駅事務室や売店等で自社車輌モデルの販売が実施される例も多く、発売日になると長蛇の列が出来る等人気を呼んでいる。

更にバンダイでは、ほぼ同時期にキャンディ事業部から1/150スケールモデル「スタートレイン」が発売された。対象年齢6歳以上(Bトレインショーティーは8歳以上)であり、先頭車のみの製品化から基本的にNゲージへの転用は考えられていない。しかしディテールは本格志向であり、Nゲージ車輌と並べても遜色は無くディスプレーモデルとしての出来は良い。丁度、Nゲージブームの頃に発売された1/150スケール鉄道車輌プラモデルが塗装済みキット(後に半完成品・塗装済み完成品による販売に移行する)となって再来したと捉える事が出来そうだ。また、殆どがモデル化された車両が国鉄型の車両の為、熟年・中年・若年層(30-50代)に人気が高まって来ている。

新たなものとして2005年末、トミーテックからNゲージサイズのブラインドパッケージ方式による「THE鉄道コレクション」が発売された。バンダイのBトレインショーティーと同じく基本的にコレクションを主眼に置いたディスプレーモデルであるが、準スケールモデル(動力ユニットとの兼ね合いのため、デフォルメされている場合がある)のローカル私鉄小型車輌を製品化しておりかなり毛色が違うものとなっている。トミーテック自らが専用の動力装置の製造・販売をしている。

現時点ではまだマイナーではあるものの、カトーがDCCシステムにかなり力を入れており、他社も追随するのかが興味のあるところである。



ストラクチャーのさらなる充実
ストラクチャーやアクセサリーの分野も2000年代以降製品が目立って増加している。もともと、日本においてNゲージは他のスケールの鉄道模型に比べてストラクチャー等の充実が際立っていた。1980年代には既に必要最低限のストラクチャー類は製品化され、90年代には戦前〜1960年代に見られたものまで発売されている。これはトミックスとグリーンマックス、および小規模メーカーながらもレイアウト用品を積極的に発売してきた津川洋行の製品化努力によるところが大きい。

それに加えて2000年代になると、最有力メーカーでありながらこれまでは鉄道施設以外はこの分野の製品がそれほど多くは無かったカトーが「ジオタウン」のシリーズ名で精力的に新製品を発売してラインナップを急速に拡大している。カトーらしい実感的な製品の出来具合とともに、パネル式の道路などユニークなアイディアやこれまでの製品にはあまり見られなかった種類の建造物を模型化するなど考えられた商品構成は、個々の建造物の製品化にとどまらず、シリーズ全体で町並みの再現が容易に出来るように考えられていることが特徴である。2005年からは古い建物も製品化されており今後もコンスタントに相当数の製品化が期待できる。

バンダイではBトレインショーティーの姉妹製品として、公称Nゲージサイズの建物シリーズ「私の生まれた街」をブラインドパッケージ方式で発売した。ただし実際に鉄道模型のストラクチャーとして使うと、他社のストラクチャーや車輛との大きさの違いが目立つ。続いて同様のコンセプト・販売方法で、ハピネット・ロビンからは鉄道ファンでもある映画監督実相寺昭雄の監修による食玩「昭和情景博物館」、トミックスの製造元トミーテックから「街並みコレクション」が発売された。両シリーズともNゲージのストラクチャーとして利用出来ることを明示しているだけに、既存のストラクチャーと並べて使っても違和感は無い。「街並みコレクション」はコンスタントに商品化されているものの「私の生まれた街」は第四弾、「昭和情景博物館」は第二弾まででその後の製品化は行われていない。実相寺はインタビューで「あまり売れなかった」とコメントしている。

その後、新たにプラモデル、ミニカー製造販売のナガノが「昭和建物シリーズ」を発売している。

Nゲージサイズの自動車模型においても、バンダイの「ワーキングビークル」、トミーテックの「THEバスコレクション」・「THEカーコレクション」・「THEトラックコレクション」「THEトレーラーコレクション」というような、ブラインドパッケージ方式の完成品が発売され、既存の製品だけでは不足感のあった車種の充実に貢献している。



関連項目
レイアウト (鉄道模型)
日本の鉄道模型メーカーの一覧
日本国外の鉄道模型メーカーの一覧


HOゲージ



HOゲージは、鉄道模型の縮尺と軌間を示す呼称のひとつ。国際的には縮尺1/87、軌間16.5mmのものを指す。日本ではHOゲージと呼ぶことが多いが、むしろ、米国ではHO(エイチオー)、欧州ではH0(エイチゼロ)と呼ばれることが多い。ハーフOゲージの略である。 日本で鉄道模型といえばNゲージが製品および愛好家の数が多く主流であるが、欧米ではHOゲージが製品および愛好家の数が最も多いゲージである。

そもそも欧米を発祥とする呼称であるが、日本の場合、正規のHO部品は特殊となり、当時は特殊な線路や模型部品が高価となるため、輸出用のHOスケールと共通の線路・車輪部品を用いることとし、実物の鉄道車両の車体断面が欧米のそれと比較して一回り小さい為、軌間と車体サイズのバランスを取り、車体は1/80と少し大きめに製作することとなった。また、当時は小型モータが普及しておらず、1/87の小型車両の製作が困難であったこともこの理由として考えられ、古典蒸気機関車など一部の動力車は1/80より大きなサイズで製作されたものも存在する。

このような方法が考案されたのは戦前から戦時中にかけてであり、同一の線路で日本型のみならず世界各国の車輌を走らせて楽しむ為に考えられたものであるが、のち第二次世界大戦後に米国向け製品の線路や部品を流用することで日本国内での普及に便宜を図ることが出来たという副次的な効果ももたらした(占領下の日本では米国向けに精密工芸品としての鉄道模型を輸出していた)。

一方、標準軌であるが日本よりも鉄道車両の車体断面の小さい英国では、縮尺1/76、軌間16.5mmのOOゲージが主流となった。

このように同じ16.5mm軌間の線路を用いていても、縮尺と呼称の異なる2種類のゲージが存在し、かつ日本型車輌の1/80はOO=1/76、HO=1/87のどちらでもない。そこで1/76から1/87の縮尺で、16.5mm軌間の線路を使用するという観点で括ったもの(すなわち英国のOOゲージ、欧米のHOゲージ、日本の1/80・16.5mmゲージを含む)を16番ゲージと呼ぶべきであるという提言が、雑誌『鉄道模型趣味』の主筆であった山崎喜陽によってなされたが、一般的には1/76〜1/87で16.5mm軌間であればHOゲージと呼ばれることが多い。この1/80サイズに至る過程で,山崎喜陽は湯山一郎が1938年に提唱した1/45,32mm軌間の零番ゲージへの賛同者が多いことに興味を持っている。この二人はたびたび会って日本における「国際ゲージ論」について語り合っている。 第二次世界大戦以前の国粋主義的1/30,35mm軌間のような失敗を繰り返したくないとの反省を込めて1/80を定めたという。

英国の1/76のOOゲージから日本型1/80、本来のHOスケールの1/87までを漠然と「HO」と呼ぶようになってしまったのが現状であるが、厳密なスケール論からすると、これは誤りであるとする意見も多い。

縮尺1/80の場合、16.5mm軌間では日本の国鉄等の用いる狭軌1067mm軌間を忠実に再現していない為、1/80・16.5mmゲージの部品を流用し、軌間を13mmにした13mmゲージが1960年代初期にアマチュアの作品として登場し、部品も一部発売された。

しかし、そもそも欧米のHO(H0)スケールと同一の16.5mmの線路上を走らせる為に1/80という縮尺を取ったのであり、16.5mmの線路を用いないのであれば縮尺を欧米のHO(H0)スケールと同一の1/87にするべきではないのか?とする意見が1970年代初期に『鉄道模型趣味』誌等でみられるようになった。狭軌線である日本の鉄道を忠実に1/87に縮尺し、12.0mm幅の線路を使用するHOn3-1/2(後にHOj、HOs、H0m等の呼称もされるようになる)の可能性が示唆され、一部のファンやメーカーで研究が開始されるが、実際に製品として登場するのは1980年代初頭である。

これは別に項目を設けることにして混乱を避けることとして、本項目では一般的に普及しているHOゲージの記述に絞る事とする。



歴史


主なメーカー
メルクリン
天賞堂
エンドウ
カツミ
関水金属(KATO)
トミーテック(TOMIX)
マイクロエース
ハセガワ(MODEMO)
鉄道模型社
フライシュマン
カワイモデル
ワールド工芸

ライブスチーム( Live Steam )



ライブスチーム( Live Steam ) とは、実際に稼動する蒸気機関の総称。

一般的に実際に蒸気を発生させて走る模型蒸気機関車をライブスチームと呼ぶが、広義には模型だけではなく、動態保存されている実物の蒸気機関車、蒸気船、トラクションエンジン(蒸気トラクタ)蒸気ポンプ、蒸気クレーン蒸気ハンマ等を総称する。



鉄道模型におけるライブスチーム
多くの鉄道模型は、線路から給電した電気で走行するが、ライブスチームは実物の蒸気機関車を小型化したようなもので、実際に水と燃料(石炭・石油・アルコールなど)を使用した蒸気機関で稼動する、庭園鉄道の一種である。

日本では江戸時代末期、米国のペリーやロシアのプチャーチンが幕府の役人の前で模型蒸気機関車の走行を実演したのがはじまりらしい。その後、佐賀藩で田中久重らによって外国の文献を頼りに蒸気機関車や蒸気船の雛型(模型)が製作された。このように日本では実物よりも先に模型の方が早く完成した。

その仕掛け上、どうしても車両は大型化せざるを得ず、一般的な軌間は45mm(1番ゲージやGゲージ)と89mm、それに127mm(5インチゲージ)であるが、軌間9mmやOOゲージの製品も存在する。

製作には高度の技術力、工作設備を要し、運転も屋外のレイアウトを要し電気式のように手軽にはできない為、ライブスチーム特有の扱いにくさから一時期廃れていて一部の熱心な愛好家によって細々と続けられており、渡辺氏、井上氏らが模型とラジオに製作記事を執筆し、小川精機、末近氏らがキットを販売していたが本格的な愛好家の拡大にはなかなか結びつかなかった。1975年に模型とラジオのスクールズ級の製作記事を読んだアスターホビー(当時はアスター精機)の社員達が当時、主力商品だった機械式レジスタの電子化によって雇用の危機に陥っていた同社の精密機械部門の起死回生の一環として取り組んだ結果、誰でも組み立てができる1番ゲージの100%機械加工済みのキットを販売した事によりこれまで機械設備を持たず欲しくても手に入れることの出来なかった愛好家の拡大に繋がった。この時期以降をライブスチームルネッサンスとも呼ばれている。その後、新規参入、再参入により徐々に増え、Roundhouse,Chedder,Accucuraft,ホーンビィ,メルクリンやコーギー傘下のバセットロークからもライブスチームモデルが販売されている。

生産に工数が掛かり、構造が複雑な為、当然、他の模型よりも遥かに高価なものとなり、100万円台の製品もある。大型のものについては後部に客車を連結し、人間を載せて走らせることも出来ることから、理系大学における学校祭、鉄道会社や保存施設などのイベントで、走る姿を見かけることもある。



現在の主なメーカー
小川精機
アスターホビー
Roundhouse
Chedder
Accucuraft
メルクリン
ホーンビィ
バセットローク
セントラル
技巧舎
動輪舎
和田ワークス
新崎モデルエンジニアリング
アキュレート

Oゲージ



Oゲージとは軌間32mmの線路を用いる鉄道模型の総称であり、スケール・モデルにも、ティン・プレートにも用いられる用語である。NMRAの規格では1.25インチであるから厳密には31.8mmとなる。

スケール・モデルの縮尺は3種類ある。

米国での主流は1/4インチスケールすなわち1/48サイズである。実はこのサイズでは標準軌は29.9mmとなり32mmでは広すぎる。現在、スケールモデルではこのサイズの模型しか製造していない。 第二次世界大戦までの米国ではレール幅と車両の関係が正しくなる17/64インチスケール1/45も採用されていたが、その縮尺が生活になじみのないものであったことと、Model Railoader誌の図面が1/4インチスケールであったことがその後の運命を決めたと言われる。

ヨーロッパでは7mmスケール1/43サイズが主流で現在も発売されている。

日本では湯山一郎が雑誌「模型鉄道」1938年3月号で1/45サイズを採用すべしと提唱し、それを「零番」と称したことから、一貫して1/45が採用されている。ただし狭軌の蒸気機関車はシリンダー間隔が広くなりすぎるのを嫌って1/43で作るという二通りの基準を持っていた。

このサイズの提唱は、アメリカ型の大きな断面の機関車も日本型,イギリス型の小さな断面の機関車も見かけ上似た大きさにして、同じ線路の上を走らせて"国際的"な模型鉄道を作るという思想から生まれたものである。当時は列車としての鉄道模型を所有し運転することができた日本人は極めてまれであり、ほとんどの模型人は機関車のみを製作した。客車、貨車は複数の友人の物を借り、「何台牽いた」ということが話題になる時代であった。したがってこの湯山氏の提唱には賛同者が多かった。

現在は既製品が簡単に入手できるので、「同じサイズの模型を揃えたい」という希望が強くなると同時に、「実物の編成の通りの運転を楽しみたい」と考えるのは当然であり、日米欧の車両を混在させて走らせることはほとんど無い。すなわち「零番」の当初の思想は完全に失われたが、日本型は1/45というサイズは定着した。

1950年頃、狭軌の機関車が標準軌を走るように見えるのを嫌う人たちは1/45サイズで24ミリゲージを採用し、日本独特のOJゲージというものもあらわれた。これは今でも市販され、Oゲージの中の一大勢力となっている。

ライオネルでは今尚、鉄道模型黎明期の流れを汲む3線式を供給しており、フランジの高さによりO、O27がある。 3線式O番と電関は当時の少年達にとって憧れであり、古くからの愛好家にはこれから入門した者も多い。



関連項目
鉄道模型


1番ゲージ



1番ゲージは、鉄道模型の縮尺と軌間を示す規格呼称のひとつ。縮尺1/32(アメリカ・ヨーロッパ諸国)もしくは1/30.5(イギリス)、軌間45mmのものを指す。 鉄道模型がスケールモデルとして確立された時期に誕生した歴史ある規格で、1901年イギリスのバセット・ロークが最初の製品を発売した。この製品の登場以後、鉄道模型は他の鉄道玩具とは一線を画して一定の規格に沿って作られるものとなった。現在でもBockholtやメルクリン(Maerklin)、KISS等が販売している。

鉄道模型の黎明期において動力の小型化が困難であった当時盛んだったが、やがて鉄道模型が普及するにつれ、動力の小型化と共により小型のOゲージ、HOゲージが浸透し、相対的に1番ゲージの占める割合は低下した。しかし、その大きさ故、敬遠されていたが、細部まで実物同様に再現し、重量感までも伝わる為、細々と作られ続けていた。

近年、同じ軌間の、Gゲージが盛んになっていることもあり、再び脚光を浴びつつある。動力は電気モーターの他に、小型のスケールでは再現が困難な蒸気機関で走るものもある(ライブスチーム)。

No.1ゲージ、Iゲージと表記されることもある。



在来線(ざいらいせん)



在来線(ざいらいせん)とは、日本の鉄道の場合、新幹線に対して従来からある鉄道路線のことをいう。

なお、新幹線と直通運転を行うミニ新幹線は、便宜上「新幹線」と称してはいるが、法規上はあくまで在来線である。






語源
1964年10月1日に日本初の新幹線「東海道新幹線」が開業したが、それまで新幹線がない時代には「在来線」という言葉はなかった。新幹線の誕生に伴い、従来の路線と対比する意味で「新幹線」の対義語として生まれた。



新幹線と在来線の違い
新幹線は全国新幹線鉄道整備法によって「主たる区間を200km/h以上で走行できる幹線鉄道」と定義され、これを実現するために標準軌 (1,435mm) で、かつ道路や他の鉄道とは必ず立体交差とし、踏切を設けないことなどが定められている。

一方、在来線は原則として狭軌 (1,067mm) であり、踏切も許容されている。もっとも、先述の通りミニ新幹線化された路線も法規上は在来線であり、狭軌用の電車を標準軌用に改造した普通列車も運行されている。また近年では都市部を中心に立体交差化が進み、山間部などでも新設路線は高速化のために踏切をなるべく作らないようにすることが多い。但しそのような高速化路線でも、最高速度はせいぜい130〜160km/hである。

欧米では元々ほとんどの路線が標準軌で建設されているため、高速新線と在来線の直通運転も珍しいことではなく、日本の新幹線と在来線ほど厳密に分離されていない。

なお国鉄再建法により、在来線は幹線と地方交通線に分類されたが、新幹線はその名の通りすべて幹線である。



在来線の意義
新幹線が開通することで、並行するそれまでの在来線の存在意義は原則的に、都市間輸送から地域内輸送・新幹線の輸送の補完的な輸送・貨物列車あるいは夜行列車などの運行にシフトする。そのため、新幹線の開業に伴い在来線部分については相対的に利用者の減少が見られる。



並行在来線問題
新幹線が並行する既存の路線を指す場合は、特に並行在来線(へいこうざいらいせん)という。たとえば、東海道新幹線に対する東海道本線である。従来、新幹線は、既存在来線の別線線増の扱いであったが、1991年に採算の見込めない並行在来線をJRから経営分離できることとなった。

しかし、これらの鉄道が運営会社によりJR時代から比べ運賃が大幅に上昇する場合が多く、地域輸送や貨物輸送、夜行列車の運行に関わる問題である。また、新幹線利用者と並行在来線利用者を合計した場合、絶対的な利用者減とは言い難い事から整備新幹線の建設と並行在来線の経営分離は、切り離すことのできない政治問題となっている。



北陸新幹線
1997年に開業した北陸新幹線(長野新幹線)の場合、並行在来線となる信越本線のうち横川〜軽井沢間は廃止、軽井沢〜篠ノ井間については第三セクターのしなの鉄道に経営移管され、並行在来線経営分離の最初の例となった。

しかし移管に関する取り決めがなされたとき、東日本旅客鉄道(JR東日本)は105億円で「軽井沢〜篠ノ井」間を買い取るよう自治体に求めてきた。新幹線誘致への考えばかりが先行してしまい、在来線問題を提起しなかった自治体側にも責任はあるといえよう。結果的に105億円という不利な条件で買い取った上、しなの鉄道が運営することになった。

しなの鉄道は「篠ノ井〜長野」間も並行在来線だとして、JR東日本に譲り渡すよう求めている。しかし、「篠ノ井線のダイヤ調整の関係がある。しかもすでに過去に取り決められたことで、今さら議論する必要もない」として、譲らない方針である。また、同区間には東海旅客鉄道(JR東海)が「しなの」を乗り入れさせているため、事は簡単にはいかない。そのため、篠ノ井〜長野間は北陸新幹線の長野以北の開通以降もJR東日本の経営のままで残る可能性もありうる。 この対立により、しなの鉄道線内数駅でのJR特急券販売が中止されるという事態にまでなってしまった。

今後、北陸新幹線の長野〜上越〜富山〜金沢間が開通した場合、長野〜直江津間の信越本線、直江津〜金沢間の北陸本線がJRより別会社に移管される予定である。しかし、西日本〜北海道を結ぶ大動脈で、貨物列車・夜行列車が東北本線ほどではないものの比較的多く走行されており、経営分離後これらの運行をどうするかが課題となっている。 また、並行在来線ではないが北陸本線の支線であり、他のJR線と接続していない七尾線、氷見線、城端線なども経営分離される可能性がある。富山港線は既に一部区間を併用軌道に移設の上、富山ライトレールに経営移管されている。



東北新幹線
2002年に延長開業した東北新幹線の盛岡〜八戸間についても、並行在来線となる東北本線の同区間が第三セクターのIGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道に経営移管されたが、同区間は関東地方〜北海道を結ぶ物流の大動脈であり、同区間を第2種鉄道事業者として営業を行う日本貨物鉄道(JR貨物)との間で、線路の使用料(保守費)の負担をめぐって一時期、第三セクター側が貨物列車の通過の拒否を表明したことがある。

JR貨物がJR旅客会社に対して支払っている線路使用料は、アボイダブルコストに基づき、貨物列車の運行に伴いかかる費用(設備費、維持費等)とされている。しかし、実際の所は国鉄分割民営化を成功させる意味合いから低く抑えられていた。このため岩手・青森両県はJR貨物に対し適正額を支払わない限り貨物列車の運行を認めないと表明、対するJR貨物は自社は何の恩恵も受けないにも拘らず一方的な線路使用料の値上げには応じない方針を示した。同区間の貨物列車については東北新幹線を三線軌条に改造する、機関車及びそれを牽引する貨車をフリーゲージトレイン化し東北新幹線上を走行可能にする、羽越本線・奥羽本線経由(寝台特急「あけぼの」と同一)のルートに迂回する、などの方策が検討されたが何れも不可能という結論になり、新幹線を運営する事業者(この件ではJR東日本)が支払う賃借料から新会社に対して差額を支払うよう法整備がなされた。この制度は後の整備新幹線開業でも適用され、期限はJR貨物の完全民営化時とされている。最終的には両者が納得するよう決着を見たが、日本の物流政策に対して大きな問題を提起した。

JR旅客会社が運行している夜行列車では、「北斗星」・「カシオペア」が運賃・特急料金を改正しながらも引き続き同区間を運行しているが、これからも同区間経由で運行を続けられるかは不透明である。

同区間は、旧国鉄時代より、秋田総合車両センターや北海道への車両の回送ルートとなっているが、盛岡〜八戸間の移管時に、この区間を通過しないように変更されたため、青森車両センター所属の機関車を郡山総合車両センターへ全検回送をする際には、 同区間を通過すれば最大2日程度で済むものを迂回により1ヶ月〜3ヶ月かけて回送し、お召列車や寝台列車などに使用される客車を秋田総合車両センターで改造や全検回送する場合には、同区間を通過すれば短時間で運行に制限なく回送できたが、現在は、入線重量や待避・留置用側線が長くなかったり、余裕が無いなどにより、一両単位で分割や、半年近くかけて回送している。その結果、同区間の待避・留置用の各側線の大部分は撤去されるに至り、後述のような問題を発生させた。

無論、このような状況では、JR旅客・貨物会社も移管された事業者も、事故や故障による迅速な修理や、救援列車の運行などは極めて困難である。そのためJR貨物は、冬季に遅延や運行に支障が出る区間(IGRいわて銀河鉄道線御堂〜小繋間の十三本木峠所謂奥中山峠)では、列車編成時に厳格に荷重量を計算する、実質的な減車を行なうことなどで対応することを余儀なくされた。

前述の北陸新幹線では貨物列車・夜行列車の運行本数・区間とも東北新幹線の並行在来線に比べて少数となるため、余り問題にならなかったという。この事から「並行在来線を走行する貨物列車・夜行列車に関する事は、経営分離ができるようにする議論の時に決めておくべきであった」と批判される事がある。

なお、新幹線八戸〜新青森開業時には、在来線八戸〜青森間が青い森鉄道に移管予定である。

東北新幹線八戸〜新青森間が延長開業した場合には、東北本線八戸〜青森が経営分離されるが、そうなると、大湊線と八戸線が孤立することになり、前述の問題から、移管先の鉄道事業者が使用料を徴収して回送等に使用させる以外に、ダイヤ、側線、運転要員等を含めて全面的に協力しない限りほぼ不可能であり、現実的ではないとしても、完全に他の事業者や自治体との交渉が断絶した場合には、青森駅の連絡船用桟橋を復活させた上で、大湊線は、大湊駅の先に桟橋を建設して、鉄道連絡船で陸奥湾を横断して青森駅まで輸送するか、八戸線は、八戸港まで回送専用に線路・桟橋を建設して、同様に連絡船で輸送するしかないが、2007年現在、結論は出ていない。



北海道新幹線
北海道新幹線の並行在来線は津軽線・江差線・函館本線の函館〜札幌間であるが、津軽線はJR旅客会社が異なるため(新幹線は北海道旅客鉄道(JR北海道)・在来線は東日本旅客鉄道(JR東日本))、経営分離される予定はない。

まず、新青森〜新函館間開業時に江差線が経営分離される予定。札幌延伸後は地域輸送の利用客が少ない函館〜小樽間が経営分離される可能性が高い。

問題点として、木古内〜長万部間は、本州〜北海道を結ぶ多くの貨物列車・夜行列車が運行しており、第三セクター鉄道会社に移管すればその鉄道会社に線路使用料を支払うだけで引き続き列車運行が可能だが、第三セクター鉄道会社が設立されず、廃線に追い込まれた場合は他に迂回路がなく、本州-北海道を結ぶ貨物列車・夜行列車が走行不能になり、廃止せざるを得なくなってしまうという問題がある。新青森〜新函館間は建設工事が進められており、新函館〜札幌間も数年以内に着工される可能性が高いが、並行在来線問題を解決できる目処は立っていない。

なお、青函トンネルを新幹線と貨物列車が共用することから生じる問題への対策としてJR北海道が研究を進めているトレイン・オン・トレインが実用化できれば、この並行在来線対策にも利用できる可能性がある。



九州新幹線


鹿児島ルート
2004年3月に部分開業した九州新幹線新八代〜鹿児島中央間においても、並行在来線(鹿児島本線)のうち八代〜川内間が第三セクター肥薩おれんじ鉄道に経営移管された。この区間もJR貨物が第2種鉄道事業を行っていたため、熊本、鹿児島県境の閑散区間であったにもかかわらず、路線が維持されたもので、JR貨物が株主として出資し、引き続き第2種鉄道事業を行なっている。そのため、旅客列車は運行経費削減のための軽快気動車による運転となったが、電化設備は貨物列車の運転用に存置されている。この区間で運行されていた夜行列車は同鉄道区間への乗り入れが行われず、博多駅からの特急「ドリームつばめ」が熊本駅までの「有明」に変更、新大阪駅からの「なは」も熊本駅までに運行区間が短縮されている。

なお、博多〜八代間については新幹線鹿児島ルートの全線開業後も経営分離されず、JR九州が引き続き運営する方針。



長崎(西九州)ルート
長崎(西九州)ルートにおいては、肥前山口〜諫早間が並行在来線として指定されているが、2006年12月現在沿線自治体の同意が得られていない。



関連項目
日本の鉄道
600m条項

新幹線(しんかんせん)



新幹線における事故の事例
1973年に東海道新幹線の大阪運転所(鳥飼基地)からの回送列車が脱線した事故、1997年に山陽新幹線の岡山新幹線運転所内で過走して脱線した事故、そして1999年に山陽新幹線福岡トンネルで通過中の列車にコンクリート片が落下し天井が破損した事故は、安全確保に悪影響を及ぼす事例と考えられ、重大視されている。

また在来線と直通運転する山形新幹線では、つばさ号と自動車との踏切事故がしばしば発生している。この様なケースは新幹線の事故というよりは、在来線での日常的事故の範疇に属するものであるが、新幹線の在来線直通における高速運転の課題として常に想起される事例でもある。



阪神・淡路大震災の事例
1990年代以降、日本国内における大きな地震災害の多発により、高速鉄道の地震に対する脆弱性が指摘される様になった。

1995年1月17日の阪神・淡路大震災では、被災地域において山陽新幹線の高架橋が破損・一部落下し、新大阪〜姫路間が80日間に亘り不通となった。地震発生は午前5時46分で、この日の運転が始まる前であったため、惨事には至らずに済んだ。これを機に高架橋の補強など耐震対策が進められた。



新潟県中越地震の事例

地震により軌道から脱線した車両さらに、2004年10月23日の新潟県中越地震においては、上越新幹線が甚大な被害を受けた。高架やトンネルなどの構造物に損傷が発生したほか、上越新幹線列車のとき325号(10両編成、200系=K25編成)が長岡駅の手前付近を約200km/hで走行中に脱線した。これはまた新幹線史上初の営業運転中の脱線事故となった(詳細は上越新幹線脱線事故の項を参照されたい)。

上越新幹線には地震感知システム「ユレダス」をカスタマイズした「コンパクトユレダス」が採用されているが、とき325号のケースでは通過地点でほぼ直下型の地震であったため、初期微動(P波)検知後にブレーキをかけたものの地震の被害を受ける前に停車する事はできなかった。

この200km/h走行時の脱線の衝撃で、レールの多くは道床の締定が外れ、一部のレールはねじ曲がるなどの大きな被害を受けた。

通常、列車がこの規模の地震に震源地付近で直撃された場合、たとえ停車していても脱線は免れ得ないと考えられるが、この事例では脱線したとはいえ編成全体の横転などには至らず、死者・重傷者などは奇跡的に生じなかった。とき325号の事例では、対向列車の不在が幸いした。地震発生5分後に対向列車とすれ違うダイヤになっていたこともあり、対向車と正面衝突していれば重大な事故を起こしたことは想像に難くない。

また、事故現場は積雪の多い地帯のためレール脇に雪を融かして流すための溝があり、そこに車体の一部が填まり込むことで横転せずに済んでいた。一般にはレール脇は平坦であるため、もしそのような場所で脱線していれば車体は完全に横転していたかもしれない。この事故は新幹線を運営するJR各社に新幹線における地震対策の重要性を強く認識させる事になった。



災害・テロへの対策不足
新幹線では、航空機や船舶と異なり、通常の運行では乗客名簿などは整備されない。万一、転覆事故などで多数の死傷者が生じた時には、死傷者の身元特定に支障を来すのではないか、との指摘もある。もしそうなった場合、家族への連絡や事故の補償などで大きな問題となることが予想されるが、新幹線を運営する各鉄道会社はこの課題について踏み込んだ対策を採るまでには至っていない。

20世紀末から世界的に増加しているテロリズムに対しても、新幹線は脆弱ではないか、との指摘もされている。現状では航空機のような搭乗時の手荷物検査がなく、その気になれば車内やプラットホームに、爆発物や刃物を容易に持ち込むことができるのも事実[2]である。また高架橋などの軌道設備には周囲から容易に接近できる箇所が多く、この面でもたやすくテロの対象となりうる。

なお、東海道・山陽新幹線の次世代車両N700系はデッキに防犯カメラをとりつけている。しかし、ロンドン同時爆破事件を見れば明らかな通り、防犯カメラを取り付けてもテロに対する対策にはならない。また、防犯カメラの設置が「プライバシーの侵害につながらないか」と危惧する声もある。



新幹線の世界への影響


世界の高速鉄道の最高速度
世界初の210km/h運転を達成した新幹線の成功は、欧米各国に影響を及ぼした。鉄道先進国を自負していたフランスは、1967年5月28日より高速列車TGS (fr:TGS) を欧州において初めて200km/hで運転し、その後も複数の列車を200km/hで運行していた。新幹線の開業後、1981年に本格的な超高速列車TGVを開発し、営業最高速度260km/hというスピード世界一を達成し、新幹線の記録を凌駕した。

その他、ドイツ (ICE) やイタリア(ペンドリーノ)でも高速列車が計画され、実現に移された。イタリアのペンドリーノは欧州初の高速新線であり、1970年に工事が始まり、1978年に部分開業を迎え、1983年に250km/h運転を開始したものの、その後の整備で仏独に遅れを取り、全線が開業したのは1992年である。 スペインは、高速新線の導入を検討していたが、TGV方式の高速列車を採用、その他にもフランスからTGVを導入する国が増えている。 ロシアの高速列車ソコルは1997年、ドイツ鉄道の技術支援を受け、モスクワ〜サンクトペテルブルグ間654kmを営業時の最高速度250km/hで結んだ事に拠り、これまで4時間20分掛かっていたものが、2時間30分に短縮された。

なお、既に標準軌の鉄道網が整備されているこれらの国では、駅周辺は従来の路線をそのまま使用し、郊外区間では諸条件によって高速新線建設と在来線改良を使い分けることが多く、システム的には全線を新線として建設する新幹線とは別物と言える。

走行試験を除くと、2007年1月現在、フランスのTGVの320km/hが世界最高である。日本のJR西日本の500系 (300km/h)、ドイツが自国開発したICE (300km/h) がそれに続く。韓国では2004年、フランスのTGV方式の韓国高速鉄道 (KTX) が300km/hで開業し、台湾では2007年、日本の新幹線方式(一部仏独の技術を導入)の台湾高速鉄道が300km/hで開業した。また、中国でも2007年、日本の新幹線はやてやドイツのICE3などをモデルにした高速車輌が在来線での運行を開始し、300km/h以上の高速運転が可能な新線の建設を目指している。

TGVは360km/hへの速度向上を計画している。2007年後半からフランスのTGV方式のスペインのAVEは、マドリード〜バルセロナ間630kmの新造線で、ドイツのICEの技術に使われているシーメンス製のVelaro Eという列車を使い350km/hで運転する計画がある。それが実現すれば、マドリード〜バルセロナ間は2時間30分に短縮される。 さらにロシアやベトナムでも新幹線をモデルにした最高速度350km/hの高速鉄道建設が計画されている。

リニアモーターカーを含めた2007年現在における世界最速の旅客営業鉄道路線は、2003年にドイツの技術によって開業した中国・上海浦東国際空港のアクセス用トランスラピッドで、最高速度は430km/hである。またドイツでもミュンヘン空港のアクセス用にトランスラビッドが建設中である。

試運転での現在の運転最高速度の世界一は、リニアモーターカーを除くと先述のTGVで574km/hである(日本の新幹線は443km/hで世界第2位)。リニアモーターカーでの世界一は山梨リニア実験線のMLX01で581km/hである。

東海道新幹線は建設が古く、カーブやトンネルなどは200km/h台の設計になっている。より新しい山陽新幹線・東北新幹線などもフランスやドイツなどと比較すると山岳区間が多く、路線の起伏やカーブの設計などにおいて高速化を妨げる点が多い。特に後者は上越新幹線共々寒冷地の耐寒・耐雪装備が不可欠であり、重量的に不利である。また沿線に住宅地が多いため、騒音への対策も必要となるため、300km/h以上の運転には解決すべき課題が多い。

しかしJR東海・西日本では2007年より山陽新幹線で500系と同じ最高速度300km/h、東海道新幹線でも曲線区間などを500系より高速で運転できるN700系を導入予定である。また、JR東日本は2004年から360km/h走行を前提とした試験車両(E954・E955形)の開発を開始しており、2005年からはE954形、2006年からはE955形も走行試験を行っている。



営業運転での最高速度記録(磁気浮上式鉄道を除く)
1964年 - 東海道新幹線開業。210km/h。軌道の安定を図るため一部区間で180km/h運転
1965年 - 東海道新幹線 徐行運転が解除され全線で210km/h
1972年 - 山陽新幹線開業。210km/h
1981年 - フランスでTGVがパリ〜リヨン開業。260km/h
1982年 - 東北新幹線・上越新幹線開業。210km/h
1983年 - フランスでTGVが270km/h
1985年 - 東北新幹線で240km/h
1986年 - 東海道・山陽新幹線で220km/h
1988年 - 上越新幹線で240km/h
1989年 - 山陽新幹線で230km/h
1989年 - フランスでTGVが大西洋線を開業。300km/h
1990年 - 上越新幹線で275km/h(大清水トンネル下り坂利用)
1992年 - 東海道新幹線で270km/h
1993年 - 山陽新幹線で270km/h
1997年 - 東北新幹線で275km/h
1997年 - 山陽新幹線で300km/h(500系電車による)
1997年 - 長野新幹線開業。260km/h
2002年 - ドイツでICE-3が開業。300km/h
2004年 - 九州新幹線開業。260km/h
2004年 - 韓国で韓国高速鉄道 (KTX) が開業。300km/h(専用線内での最高速度。在来線内での最高速度は150km/h)
2007年 - 台湾高速鉄道開業。300km/h
(新幹線以外の高速鉄道の詳細な記録は高速鉄道をご覧下さい)



新幹線の輸出


台湾
台湾の南港〜高雄間のうち、台北〜左営の約340kmで運行中の高速鉄道路線(台湾高速鉄道)は、独仏連合との熾烈な受注競争の末、日本連合が最終的に逆転、受注に成功した。この高速鉄道は新幹線のシステムを導入して建設されており、車両には700系をベースとした700T型が用いられている。日本が受注した背景には、技術や安全性もさる事ながら、台湾は歴史的にも日本に対し親近感を持っている事、地理的に日本と類似した条件にある事、地震に備えるシステムが構築されている事などが挙げられるが、最終的には日本側が提示した資金面での優遇措置を加えた事が契約締結の決め手となった。

当初は2005年10月の開業を目指して建設が進められたが、台湾高速鉄道のコンサルタント業務を欧州連合が先に受注していたため、施工方法やスケジュールの調整が難航。また建設工事の一部区間を受注していた韓国の現代建設による路盤の手抜き工事が発覚するなど、各国企業の思惑が入り乱れたため、開業時期が徐々に遅れ、結局2007年1月5日に板橋〜左営間で暫定開業した。台北〜板橋間は2007年3月に開業し、台北〜南港間・左営〜高雄間は未定。

詳細は台湾高速鉄道を参照



イギリス
イギリス戦略鉄道庁とHSBC Rail UKは2005年6月2日、ロンドン〜ケント州間における高速新線CTRL (Channel Tunnel Rail Link) の国内専用車両に関して、日立製作所が導入・保守契約を締結した事を発表した。

日立製作所に正式発注が決定した場合、UIC規格路線を走る初めての新幹線車両となり、CTRL線上においてTGVベースのユーロスターと混在して運行される事となる。

30編成で計180両となり、受注総額予定は2億5000万ポンド。

営業最高速度は、CTRL線上で140マイル毎時 (225km/h)、在来線では70mph (112km/h) で、将来的には時速170mph (275km/h) を目指す。

この契約の背景には、オーストラリアでの鉄道高速化に日立がその実績を持っていたことと、国民レベルで存在するフランスを嫌悪する意識(cf.百年戦争)、そして古くはイギリス国鉄時代に始まり、民営化後ハットフィールド事故で極まった鉄道運行・保守システムの荒廃を、日本からの技術導入によって立て直す嚆矢としたい狙いがある。



中国
中国本土、北京〜上海間1,300kmの京滬線をはじめ、中国全土に8路線合計12,000km近い高速鉄道網の建設を計画しており、車両やシステムを巡り日独仏の3陣営が三つ巴で熾烈な受注競争を続けている。

2006年2月から主要都市間の在来線高速化 (200km/h) 用にフランスのTGV、ドイツのICEと共にJR東日本のE2系をベースにした120両の高速車両CRH2型が導入されており、これらの車両の運用実績をもとに本格採用が決定されるものとみられる。一部は完成車で納入されたが、残りは部品の現地組み立てまたは技術供与による現地生産となった。川崎重工と青島の南車四方機車車両が製造したCRH2型「子弾頭」“China Railway High-Speed2”は2007年1月28日から運行を開始した。中国では反日テロを警戒したため、日本の技術供与については報道されなかった。

なおJR各社では、JR東日本が受注に積極的なのに対し、台湾への技術供与を行ったJR東海の葛西敬之会長は、トラブルが発生した場合の責任問題や技術流出の危惧から反対の意見を表明している。

詳細は北京・上海間高速鉄道計画、中国高速鉄道CRH2型電車を参照



韓国
韓国の高速鉄道「KTX」計画においては、日本の新幹線方式も入札に参加していたが、最終的にはフランスのTGV方式となった。



その他
ベトナムではハノイ〜ホーチミン間 (1,630km) で円借款での南北高速鉄道(最高速度350km/h)の建設計画があり、完成すれば現在30時間以上掛かっている所要時間が10時間弱に短縮されると期待されている。
アメリカのカリフォルニア州でロサンゼルス〜サンフランシスコ間にも建設計画があるが、州の予算や採算性の問題もあり、建設時期は未定のままである。
ロシアではモスクワ〜サンクトペテルブルグ高速鉄道運行プロジェクト(路線距離645km、最高速度350km/h)が進行中であり、同プロジェクト一行が日本企業と接触している。さらにモスクワ〜ニジニ・ノヴゴロド間、エカテリンブルク〜チェリャビンスク間などにも高速新線の建設が計画されている。
インドは高速鉄道の導入に本格的に乗り出した。2007年5月、インド国鉄は事前事業化調査のための説明会を開催し、日本やヨーロッパの車両メーカーも参加した。計画はアフマダーバード‐ムンバイ間、アムリツァル‐ニューデリー‐ラクナウ間、バトナ‐コルタカ間、チェンナイ‐バンガロール間の4路線。[3]
世界的に見ると、高速鉄道を必要とする国には、日本の様に地理的条件や騒音対策、輸送量の面で過酷な条件に置かれているケースはさほど多くはないため、新幹線方式よりもコスト面でより有利なTGVに代表される半動力集中式を採用するケースが多い。



新幹線による貨物輸送

交通博物館で展示されていた東海道新幹線貨物列車(電車)の模型いわゆる「貨物新幹線」は、東海道新幹線の建設時から構想だけは存在したものの(旅客列車のない深夜に超高速コンテナ電車を走らせる構想があった)、いまだに実現されていない。新幹線による貨物輸送は従来よりも経済的であるとされるが、最高速度や制動距離などの違いからダイヤグラム上で旅客列車と混在させることは現状では困難である。また、高速で走ったとしても積み替え等の時間が必要なことから、時間短縮効果が旅客ほど出てこないともされる。なお、約40年の時を経て同様の列車が在来線に「JR貨物M250系電車(スーパーレールカーゴ)」として登場した。

東海道新幹線建設時の計画は、実際のところは世界銀行からの新幹線建設の資金調達のため、旅客だけでなく貨物輸送もあるというポーズをつけるための、ダミー構想といえるものであった(当時の欧米は鉄道斜陽論が台頭していた上、世界銀行のあるアメリカでは、すでに鉄道は旅客利用ではなく貨物が中心となっていたため、「旅客専用」の新しい鉄道建設を理解してくれないだろうから、建設資金を貸し出しさないだろうと考えていた)。しかしながら、新幹線大阪第二車両所(鳥飼基地)の京都側に、東海道新幹線の本線を跨ぐ構築物や、事業用地などに使われている線路用地の跡など、新幹線貨物輸送の構想の遺構が確認できる箇所もある。また、JR貨物の大阪貨物ターミナル駅は新幹線貨物輸送で大阪側の貨物取扱駅として用意されていた土地を転用したものといわれており、可能ならば実用化しようという姿勢自体は見られた。

2005年から建設が始まった北海道新幹線は、青函トンネルとその前後の区間を在来線の貨物列車と共用するため、同区間では片道あたり新幹線・貨物それぞれ2本/時しか走らせることができないと予想されている。JR北海道ではこのボトルネックを緩和する方法の1つとして、在来線の貨車をそのまま搭載する専用列車(トレイン・オン・トレイン)の研究が進められている。


新幹線大阪運転所(鳥飼基地)の京都側にある本線を跨ぐ構築物と合流跡




新幹線大阪運転所(鳥飼基地)の京都側にある本線を跨ぐ構築物と合流跡




新幹線大阪運転所(鳥飼基地)の京都側にある本線を跨ぐ構築物




新幹線大阪運転所(鳥飼基地)の京都側にある本線を跨ぐ構築物(立体交差の上部)へ向かう分岐跡










運賃・特急料金


運賃
新幹線の運賃は、並行在来線の営業キロを元に決められる。これは、元来新幹線が並行在来線の別線増設として建設されたという歴史的経緯や、運賃計算の繁雑化を避けた事によるものである。詳しくは以下の通り。

注:「並行在来線」とは、東海道新幹線では東海道本線、山陽新幹線では東海道本線・山陽本線・鹿児島本線、東北新幹線の東京駅〜盛岡駅間では東北本線、上越新幹線では(東北本線)・高崎線・上越線・信越本線、九州新幹線の川内駅〜鹿児島中央駅間では鹿児島本線のこと。

新幹線と並行在来線は原則として同一路線とみなされる(「幹在同一視」)。そのため、新幹線を利用した場合と在来線を利用した場合とで基本的に運賃は変わらない(後述するように例外もある)。
山陽本線には岩国駅〜櫛ヶ浜駅間を含む区間について岩徳線経由のキロ数で運賃を計算する特例がある(経路特定区間)が、山陽新幹線にもこの特例が適用される。
並行在来線と接しない新幹線駅については、それに最も近い(もしくは対応する)並行在来線の駅に相当するものとして営業キロを定める(例: 新花巻駅は花巻駅の営業キロを用いる)。
並行在来線(の一部)が廃止されたり第三セクター鉄道に転換されたりして「並行するJR線」が消滅した区間(長野新幹線の高崎駅〜軽井沢駅〜長野駅間・東北新幹線の盛岡駅〜八戸駅間・九州新幹線の新八代駅〜川内駅間)については、実際のキロ数を営業キロとする。
幹在同一視の原則により、片道乗車券の経路に新幹線とそれに対応する区間の並行在来線の両方を含む事はできない。
例えば、名古屋→(新幹線)→静岡→焼津と乗車する場合、静岡〜焼津間が重複となるため1枚の片道乗車券にはできず、名古屋→静岡と静岡→焼津の別々の乗車券が必要である(連続乗車券にする事もできる)。
一方、新幹線と並行在来線とを完全に同一視すると旅客にとって不利になる場合を考慮して、以下のような例外がある。

並行在来線と接しない新幹線駅を含む区間(例:品川〜新横浜〜小田原)については別の路線として扱う。
例えば、大阪→新大阪→(新幹線)→名古屋→大垣と乗車する場合は、名古屋〜大垣間を重複とせず、全体を1枚の片道乗車券にする事ができる。
また、山陽新幹線の新下関駅〜小倉駅〜博多駅間については、新幹線(JR西日本)と在来線(JR九州)とで管理する会社が異なることから、他の区間とは扱いが異なっている。

基本的には同一の路線として扱うにも関わらず、運賃が異なる。
JR九州管内となる下関以西の在来線では乗車距離に応じた加算額が課されるのに対し、JR西日本管轄の新幹線ではそれがないため。
運賃が異なることに起因して、片道乗車券の発売条件の判定がかなり煩雑である。規則を厳密に解釈すると、条件によっては片道乗車券でも連続乗車券でも発売できない経路が存在する。
詳しくは、旅客営業規則第16条の2、第16条の3及び第16条の4を参照。JRグループ旅客営業規則(JR東日本版)



特急料金
新幹線(山形・秋田新幹線を除く)の特急料金は、乗車券や在来線の特急列車のような対キロ制ではなく、各駅の区間ごとに決められた、いわゆる三角表方式となっている。

新幹線と在来線の乗り継ぎについては、乗り換えを強いられる旅客の経済的負担を抑えるため、一定の条件で在来線の特急・急行料金を半額に割り引く制度がある(乗継割引)。

なお、制度上在来線である山形新幹線と秋田新幹線については、新在直通運転を行うという特殊性から、以下のような取扱いになっている。

福島駅〜新庄駅の区間内相互間、および盛岡駅〜秋田駅の区間内相互間での利用の場合
在来線として扱い、A特急料金を適用する。
東北新幹線と福島・盛岡で乗り継ぎまたは直通する場合
東北新幹線区間の特急料金に、在来線区間の乗車距離に応じた特定の特急料金を加算する。この在来線区間の料金は、通常のA特急料金とそれに乗継割引を適用した金額との中間的な額になっている。
また、九州新幹線には乗継割引の制度がないが、新八代で鹿児島本線の特急列車と改札を出ずに乗り継ぐ場合は、両方の列車を通じて特定の特急料金を適用する。ただし、鹿児島本線の特急列車からさらに山陽新幹線に乗り継ぐ場合はこの取扱いをしないなど、複雑な制度になっている。詳しくは乗継割引の項を参照のこと。



営業上の競合など


航空便との競合
長距離移動においては国内航空便との競合がこれまで続いてきたが、航空会社の規制緩和による各種割引運賃の一般化(早割、特割、激割など)や、さらに旅行業者とタイアップして宿泊料金込みで格安の料金を打ち出して来る航空便に対し、事実上、値段(運賃)の面では太刀打ちできなくなっているのが現状である。

また、航空会社によるマイレージサービスの存在も大きく影響している。高頻度の利用客に対し通常より多いボーナスマイルや専用ラウンジの用意、渡航先宿泊の割引など高いサービスを与えて優遇する制度があり、これらのサービスが存在しない新幹線を利用しない旅客も多い。近年、エクスプレス会員に対しポイントシステムを開始しているが、そのサービス内容や、高頻度利用客への優遇サービスは格段の違いがある。さらに新幹線には飛行機のような手荷物検査が一切ないので、セキュリティの面で不安感が残っている点も不利であるともいえる。新幹線の優位点は、割引料金に対する予約変更の優位性、発車場所へのアクセス性、本数(輸送力)の多さと定時性、手荷物検査や持込品目の制限などの煩雑さがない点にある。日航機事故のような大規模の航空事故が起こった後には、乗客が新幹線に流れることがある。

航空会社との対抗については、航空路線と競合する区間を中心に割引率の大きい特別企画乗車券の発売や、ビジネス客の多い東海道・山陽新幹線ではJR東海エクスプレス・カードとJ-WESTカード(エクスプレス)による「エクスプレス予約」、東北や上越・長野新幹線では「えきねっと」といった、運行会社自身の会員制インターネット予約による割引特急券の発売が行われている。とりわけ2006年の神戸空港や新北九州空港の開港は、競合する東海道・山陽新幹線への影響が大きく、「エクスプレス予約」の山陽新幹線への拡大、300km/hの高速性能と700系車両を上回る居住性の両立を目指した次世代車両であるN700系車両の共同開発など、それまで対立の多かったJR東海とJR西日本両社は連携を強化する体制に転換しつつある。一方、航空会社も東京〜大阪間でのみ使える予約変更自由、航空会社選択自由のシャトル便往復割引を導入して迎え撃っているほか、羽田空港の滑走路増設による発着能力増強や、横田空域の一部返還により、更なる所要時間短縮による競争力強化が見込まれている。また、京浜急行電鉄や名古屋鉄道といった空港連絡鉄道路線を持つ鉄道各社とのタイアップも行っている。これらの鉄道会社が保有する路線の多くは、JRの在来線と競合しているため、その影響もあると見られている。 なお、JR各社がインターネット予約サービスを設けているが、主にビジネス客向けの会員カード制である点や、それぞれ各社が独立して運営しているので、JR同士であっても会社が異なると発券や割引が受けられないといったことが起きている点は、閉鎖的なサービスとみられ、航空会社のそれに比べると劣っているともいえる。

なお山陽新幹線においては、終点である博多駅と福岡空港がほぼ隣接しているという他の地域にはない特徴もあり、福岡〜名古屋間では新幹線と航空会社との競争が非常に激化している。福岡〜大阪間は従来競争が激しかったが、昨今では「ひかりレールスター」の登場などにより、ほぼ鉄道の独占状態になっている。



他の鉄道との競合
特に国鉄時代は、頻発する運賃・料金の値上げとストライキに対する嫌気から、運賃・料金の大幅値上げが繰り返された昭和50年代に航空機などへの乗客移行が多く見られた。名古屋〜大阪間においては、特に急がない個人客を中心に、近鉄の特急列車へ移行する例も見られた(参照:近鉄特急史)。

また、山陽新幹線の小倉〜博多間では、JR同士での競合が起こっている。JR西日本(新幹線)は小倉〜博多間のみの「こだま」を増発している。一方JR九州(在来線)では特急料金の値下げや高頻度の運行で対抗している。この区間には西鉄バスによる低廉(片道1,000円)な予約不要の高速都市間バス「ひきの号」・「なかたに号」・「いとうづ号」も多数運行されており、三つ巴の様相を呈している。

他には、東京方面からの富士箱根伊豆国立公園方面へのアクセスにおける、東京・品川〜熱海間(東海旅客鉄道東海道新幹線と東日本旅客鉄道東海道本線)の競合があげられる。“棲み分け”が成されているとも見ることもできるが、両社はこの区間において在来線同士の直通運転を除き新幹線と在来線の相互連携は特に見られず(特別企画乗車券「伊豆フリーQきっぷ」で、東京-熱海-三島間で東海道新幹線あるいは在来線特急自由席の利用が可能である程度)、JR東日本側では在来線特急を伊豆急行や伊豆箱根鉄道駿豆線と東京を直通させている。



高速バスとの競合
高速バス昼行の長距離では、たとえ格安であっても新幹線の速度と定時性にはかなわないものがあるが、既出の例を含む中距離区間や、新幹線が中心とされた東京・大阪間を初めとする区間を夜行バスで寝ている間に格安で移動できるということで1980年代ごろから人気が出ており、現在国鉄の名残からJR新幹線沿線をJRの子会社が運行する路線もあるが(東京-名古屋・京阪神間が中心)、JRグループ以外の競合会社(私鉄・専業系路線バスのほか、貸切バスによる会員制ツアーバスもある)の進出も急増し、各JR新幹線と実質競合している。高速バスは、バスの特性を生かして都市の市街地に直接乗り入れるなどしているため、新幹線の駅を結ぶ競合でなくても新幹線の客を奪っているのである。なおJR新幹線は協定により深夜・早朝の運転を行わない。



政治の影響
新幹線の建設に関しては、その開業効果が大きいことから沿線の利害に関係することとして、建設時より様々な政治介入がなされてきたといわれる。

最も古い話では、東海道新幹線の建設時に起こった、京都駅の設置是非をめぐる問題や、大野伴睦の介入による岐阜羽島駅の設置騒動がある(ただし、岐阜羽島駅の設置には関ヶ原の降雪対策という、政治的な影響力とは別の理由もあり、政治力のみで設置されたわけではないと言われている)。

詳しくは、鉄道と政治の項目を参照のこと。



世界の高速鉄道の呼称
日本では、高速鉄道といえばすなわち新幹線という先入観があるため、報道などでは日本国外の高速鉄道についても国名を付けて「○○新幹線」又は「○○版新幹線」という呼称が広く用いられている(TGV:フランス新幹線、ICE:ドイツ新幹線、KTX:韓国新幹線、ER200:ロシアン新幹線、HSR:台湾新幹線など)。

日本の新幹線は、厳密には車両、軌道、架線、信号(ATC)などの総合システムであり、他の高速鉄道システムとは区別される。英語でも、日本の新幹線はShinkansenと表記される様に、新幹線とは日本の高速鉄道システムの固有の名称とみなすべきものである。技術的にも、他国の高速鉄道と異なり在来線とは完全に独立したシステムとなっているのが特徴で、動力分散方式など極めて独自性が強い。

従って、「日本の新幹線」以外の高速鉄道を「新幹線」と呼ぶ事は本来適切とは言えない(台湾高速鉄道は日本と同じように在来線とは独立したシステムとなっており、日本の技術が導入されているため、台湾でも「台湾新幹線」と呼ばれることがあるが、独仏の技術も取り入れられているので同等のものではない)。しかしながら、現実には「新幹線」の独自性は一般にはあまり認識されておらず(日本の鉄道の殆どが、新幹線と同様の動力分散方式を採用している影響もあると考えられる)、他国の高速鉄道に対する「○○版新幹線」の呼称が通用しているのが実情である。



駅での新幹線案内表示
新幹線の乗り入れる駅において、駅構内の表示では、ピクトグラムとして国鉄時代は0系・200系を元にした絵(丸型の先頭車両)が描かれていた。JR東日本の東北・上越新幹線の駅、及び東京駅での東海道新幹線乗り場案内サイン(JR東日本構内)は現在もこれを踏襲している。しかし、JR東海と西日本ではその後登場した車両の絵を用いている。
地下鉄など国鉄・JR以外の駅では、乗り換え表示に「JR線」の他に「新幹線」を記載する例がみられる。
新幹線の英語表記の案内表示では表記が統一されていないものがある。たとえば、「新横浜」をShin-Yokohamaと表記しているところもあれば、Shin-yokohamaと表記しているところもある。この点は専門家の間でもまとまった意見は出ていないのが現状である。


警笛・走行音など
新幹線の「音」は「ビュワーン」という音が古くからよく知られ、メディアなどでも取り上げられることが多かった(新幹線を用いた旅行という設定のCM、後述する『はしれちょうとっきゅう』の歌詞など)。これを新幹線の走行音と思う人も多かったが、実際は走行中(主に高速走行時)の警笛音である。なお、この音で新幹線がイメージされることは、1980年代以降薄れた。また、100系以降の東海道・山陽新幹線車両や東海道・山陽新幹線以外の新幹線については、この音をメディアなどで取り上げられることはなかった。
実際の新幹線の走行音は、低速運転時(少なくとも110km/h以下)の場合は在来線の走行音より静かである。ボウリング場の音に似ている。
走行音の発生源としては車輪や架線、車体前面や側面・上面の突起物による風切り音(空力音)があるが、300km/h近くなると空力音がその大半を占めるようになる。そのため高速走行には「新幹線車両」で述べたような空力音対策が必要とされる。


地名における「新幹線」
静岡県田方郡函南町には「新幹線」という地名が存在する。これは戦後の新幹線計画からの地名でなく、戦前の弾丸列車計画時代に新丹那トンネルの工事を行うための従業員宿舎が置かれた場所である。工事終了後に宿舎は撤去されたが、その後同地に住宅団地が建てられ「新幹線」という地区が生まれる事となった。この地区には新幹線公民館や「幹線下」という名のバス停も存在している。

また、東京都国分寺市の鉄道総合技術研究所のある場所の地名は「光町」である。新幹線開発を記念し、東海道新幹線の列車愛称「ひかり」から付けられたという。



新幹線に関連する作品


映画・テレビ
新幹線大爆破(1975年、東映 監督:佐藤純彌)
新幹線公安官(1977年7月〜9月、1978年4月〜9月、テレビ朝日系にて放送)
新幹線物語'93夏(1993年7月〜9月、東京放送 (TBS) 系にて放送。脚本:池田雄一)
新幹線'97恋物語(1997年4月〜6月、東京放送 (TBS) 系にて放送)
プロジェクトX〜挑戦者たち〜「執念が生んだ新幹線」(2000年5月9日、NHK総合にて放送)
新幹線開発物語(2004年。脚本:矢島正雄)
新幹線をつくった男たち(2004年11月3日、テレビ東京系にて放送)


小説
『動脈列島』(作:清水一行、1975年。映画にもなった、新幹線騒音問題を元にした社会派サスペンス)
『新幹線多重衝突セヨ』(作:和久峻三。列車制御システムへの不正侵入によるテロを描いている)
『謀略軌道』(作:北上秋彦、1998年。『新幹線大爆破』と同様のシチュエーションで、爆弾が仕掛けられた東北新幹線の列車を止めないために東京駅構内で突貫工事を行い、東海道へ乗り入れさせる)


歌・絵本・キャラクターなど
開業以来主として幼児・年少の子供に対し、多数の新幹線に親しむ様なアイテムが作られた。

『はしれちょうとっきゅう』(歌・作詞:山中恒):1967年、NHK「うたのえほん」でリリース。その後1970年代には広く幼児に歌われる(レコード付絵本「ドレミファブック」(世界文化社)で扱われる、幼稚園で広く歌われるなど)。
『ヒカリアン』:トミー(現・タカラトミー)の男児向け玩具シリーズ(後にテレビ東京系でアニメ化もされた)を元とする。新幹線電車から人型に変形するロボットが多数登場する。
『勇者シリーズ』:名古屋テレビ放送製作のロボットアニメ。新幹線電車から人型に変形したり、他のメカと合体するメカがしばしば登場する。
『勇者エクスカイザー』:ブルーレイカー(100系)、グリーンレイカー(200系H編成)
『伝説の勇者ダ・ガーン』:アースライナー(300系)
『勇者特急マイトガイン』:ガイン(300系)、マイトウイング(400系)、ライオボンバー(200系H編成)、ホーンボンバー(100系)
『勇者指令ダグオン』:ターボライナー(300系)、ウイングライナー(400系)、アーマーライナー(E1系)
『勇者王ガオガイガー』:ライナーガオー(500系)※敵ロボットとして300系も登場
『新幹線トレインジャー』:東日本旅客鉄道盛岡支社が企画したキャラクター。CDも発売されている。はやて剛(E2系・はやて号)、こまち美里(E3系)、やまびこ太朗(E2系・やまびこ号)、マックス勇山(E4系、Max)
『SHINKANSEN』:サンリオでデザインされたキャラクター。キャラクターの開発は1999年。『しんかんせん』、『シンカンセン』、『新幹線』とも表記する。
『SuperExpressトレインガールズ・ファステック360S』:E954形試作電車を擬人化したフィギュア。JR東日本商品化許諾済。
『電車学園モハモハ組』:擬人化された鉄道車輌たちを描いた漫画作品。主人公のこまち(E3系)の他、ゲストキャラとしてファステック(E954形)、はやて(E2系)も登場。
伊賀健二 - 『よしもと新喜劇』で「新幹線みたいな顔」などといじられる。


ゲーム
『電車でGO!2』・『電車でGO!64』・『電車でGO!プロフェッショナル仕様』:秋田新幹線の秋田〜盛岡間上り線(一部は大曲まで)と東北新幹線盛岡〜新花巻間上り線がプレイできる。
『電車でGO!新幹線 山陽新幹線編』:山陽新幹線の新大阪〜博多間上下線がプレイできる。条件を満たせば博多南線及び博多総合車両所まで運転できる。
どちらも実際の距離はデータ容量の関係上、再現できないため、区間によってバラつきはあるが、概ね3分の1程度の距離に縮小されている。そのせいで新大阪〜博多間が実際は3時間ほどかかるのにゲームでは1時間少し(のぞみの場合)で走りきってしまう。


関連項目
日本の鉄道
日本の改軌論争
ミニ新幹線
鉄道の歴史
鉄道の歴史 (日本)
新幹線不在仮定(東海道新幹線が建設されなかった場合の仮定)
世界の鉄道一覧 - 世界の高速鉄道
高速鉄道 - 同上
終夜運転 - 新幹線が24:00から06:00までの間、運転されない状況を説明。
磁気浮上式鉄道
ジェイアール式マグレブ
真空チューブ列車
エアロトレイン
外交
台湾高速鉄道
北京・上海間高速鉄道計画 - 中国新幹線


参考文献
須田寛『東海道新幹線』 JTBパブリッシング 2000年8月 ISBN 4533035639
須田寛『東海道新幹線〈2〉』 JTBパブリッシング 2003年12月 ISBN 4533050573
南谷昌二郎『山陽新幹線』 JTBパブリッシング 2005年2月 ISBN 4533058825
山之内秀一郎『東北・上越新幹線』 JTBパブリッシング 2002年12月 ISBN 4533045138
川島令三・岡田直『鉄道「歴史・地理」なるほど探検ガイド―大都市圏・新幹線版』 PHP研究所 2002年4月 ISBN 4569619886
山之内秀一郎『新幹線がなかったら』 東京新聞出版局 1998年12月 ISBN 4808306581
所澤秀樹『国鉄の戦後がわかる本 上巻』 山海堂 2000年2月 ISBN 4381103602
所澤秀樹『国鉄の戦後がわかる本 下巻』 山海堂 2000年3月 ISBN 438110367X
岡山惇『東北・上越新幹線』(中公新書) 中央公論社 1985年9月 ISBN 4-12-100777-8
Christopher P. Hood『Shinkansen - From Bullet Train to Symbol of Modern Japan』London: Routledge, 2006年 ISBN 0415320526

新幹線(しんかんせん)



新幹線(しんかんせん)は、旧日本国有鉄道(国鉄)が1964年(昭和39年)10月1日に営業運転を始めた東海道新幹線を初の路線とし、現在JRグループが運行する高速鉄道路線およびそれに用いられる車両、並びに関連する鉄道輸送システム全体をも指す呼称である。


東海道・山陽新幹線歴代車両。左から700系、300系、0系目次 [非表




定義・概況
全国新幹線鉄道整備法(全幹法)第2条では、新幹線鉄道を「主たる区間を200キロメートル毎時以上の速度で走行できる幹線鉄道」と定義している。新幹線はその性質から在来線とは構造も役割も異なり、一般の鉄道敷設法などに加えて、新幹線特例法などにより、法律的にも一般の鉄道とは違った扱いを受ける。

建設は独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構(鉄道運輸機構)が行ない、その費用は国や沿線自治体が負担する[1]。運営は旅客鉄道会社(JRグループ)が専ら行なっている。「新幹線の運営はJRでなければならない」など、法律面で鉄道事業者を特定していないが、運営がJRグループに継承される理由としては、

新幹線の経営には莫大な費用がかかり、それを負担できる資本力があるのは旧国鉄の業務を継承するJR各社しかない。
旧国鉄には、東海道新幹線・東北新幹線・上越新幹線を経営してきた実績があり、それがJR各社に分割民営化されたことで、運営ノウハウを知っている人間がJR各社にしかいない。
ということが挙げられる。



呼称
新幹線とは、元々は従来の幹線に対して「新しい幹線」という意味で、東海道新幹線は在来線である東海道本線の線増として建設された為こう呼ばれた。 日本以外の国々ではBullet Train(弾丸列車)、Super Express(超特急)、もしくはそのままShinkansen(シンカンセン)の名で広く知られている。一般的にはShinkansen Bullet Trainと説明されることが多い。1964年の東海道新幹線開業当初は、New Tokaido Line(東海道新線)とも案内された(現在でも横浜市営地下鉄では車内電光掲示板で使われている)。なお現在では駅内の案内板等では路線名としてはShinkansenを使用し、列車名を表す場合は、例えばNOZOMI Superexpressなどと、Superexpressという名称が使われている。これはJRグループで特急を表すLimited Expressより上位の列車という意味でSuperという単語を用いている(日本語で言えば「超特急」)と考えられる。 ちなみに、車内放送では "Welcome to the Shinkansen. This is the NOZOMI superexpress bound for Tokyo." などと放送される。



新幹線に関する主な技術
新幹線鉄道は、その大部分の区間において200km/hを超える速度で運行するため、在来線鉄道とは異なった様々な技術が用いられている。速度のみならず、乗り心地や安全面でも高い水準が確保され、その成功は日本以外の世界各国において鉄道の価値を見直すきっかけともなった。



路線・軌道設備

新幹線のホーム

新幹線の高架橋

安全柵やカラーの電光掲示板が設置されている駅(写真は東京駅)
路線は、在来線と別ルートで新規に建設した線路設備を用いる(ミニ新幹線を除く)。
軌間は標準軌 (1,435mm) を用いる。
カーブにおける曲率半径を大きくし、できる限り直線を確保する。曲率半径は東海道新幹線が2,500m(制限速度255km/h)、山陽新幹線以降に建設された各線は4,000m以上(現状の最高速度300km/hでは減速せず通過できる)が基本となっている。但し、東海道新幹線の東京〜新横浜間や東北新幹線の東京〜大宮間のような都心部区間、あるいは全列車が停車する主要駅の前後においては、その限りではない。また、通過列車が多い熱海駅や徳山駅の前後などにおいても、用地や地形の関係からやむを得ず急曲線が存在する区間がある。
事故防止のため以下の設計を行う。
自動車との衝突事故を防ぐため、踏切を一切設けない(ミニ新幹線として運行されている在来線の場合は、踏切数を削減すると共に保安設備を強化している)。
線路内に一般の人が立ち入れない様にする。前項も含めた対策として全線立体交差とする(ミニ新幹線を除く)。また、列車の運行妨害等に対しては法律面でも「新幹線特例法」によって在来線より厳しい罰則を定めている。
通過列車との接触など人身事故を防ぐため、プラットホームに可動式の安全柵を設ける(例:新横浜駅や新神戸駅など)か、通過線と待避線を分ける(例:静岡駅、福島駅など)。但し、名古屋駅や新大阪駅など全列車が停車する駅、あるいは大宮駅や軽井沢駅など通過列車の通過速度が低い駅には設置されていない。
乗り心地や安全性の向上、騒音対策などから、レールや分岐器(ポイント)にも様々な工夫が施されている。
レールは、継ぎ目の数を減らしたロングレールを使用。東北新幹線のいわて沼宮内駅〜八戸駅間には、国内最長の延長約60.4kmに亘る「スーパーロングレール」が用いられている。
ポイントは、通過時の振動が少ない弾性分岐器を使用。また、高崎駅北方にある上越新幹線と北陸新幹線(長野新幹線)との分岐には、分岐側が160km/hで通過できる国内最大のポイントが設置されている。


信号システム
地上の信号機を車上から目視確認して運転する事は高速運転のため不可能であり、自動列車制御装置 (ATC) を備え、運転室内に車内信号による運行指示が表示される。
運転指令所の列車集中制御装置 (CTC) から、全ての列車の運行状況を一括管理している。現在では列車運行管理システム (PTC) も導入されており、通常のポイント操作や信号制御、駅自動放送から車両の管理整備、輸送障害時の復旧ダイヤの作成に至るまで、あらゆる業務がコンピュータによって高度にシステム化されている。


電源方式
単相交流25,000Vで電力を供給する。電源周波数は以下の通り。
東海道新幹線では60Hzに統一して給電している。静岡県の富士川を境に50Hzと60Hzの電源周波数区分をまたがっているが、それぞれの区間の距離の長い方を全線で採用し、車両設備の簡素化を狙ったもの。なお、電源周波数区分50Hzの地域では周波数変換所が設けられ、新幹線電源用に60Hzに変換している。
北陸新幹線は軽井沢駅〜佐久平駅間で50/60Hzの切り替えを行う。
上記以外の山陽(東海道新幹線を延長した形で建設された)・東北・上越・九州(鹿児島ルート)の各新幹線はそれぞれの沿線地域と同じ(山陽・九州は60Hz、東北・上越は50Hz)。
ミニ新幹線である山形新幹線と秋田新幹線は、改軌前より50Hz・20,000V交流電化された区間であったため、改軌後もこれをそのまま採用し、直通車両を複数電源対応とした。


車両技術
機関車などにみられる「動力集中方式」(無動力の客車を牽引する方式で、ヨーロッパで多く採用されているプッシュプル方式もこの形式に属する)ではなく、動力を編成各車両に分散させる「動力分散方式」(電車方式)を用いて、加減速能力の向上・軽量化・軌道への負荷軽減を図っている。ただし、車両に装備されるモーターが増える結果コスト高となるため、海外への販売(一時期韓国KTXなどにも導入計画があったが、コスト面を理由に動力集中方式であるフランスのTGV方式に変更された)では不利になることや、修理時の費用が高いことが短所である。
編成全体で大出力を確保するため、編成内における電動車(動力車)の比率を極力多くする。東海道・山陽新幹線の初代車両0系や、東北・上越新幹線開業時の車両である200系は全車が電動車であった。また東海道・山陽新幹線で使用されている500系は最高速度300km/hの高速運転を行うために、九州新幹線の800系は急勾配を走行するために、全車が電動車となっている。ちなみに、全電動車方式は上記の様にコスト面での不利はあるものの、その分のコスト高は足回りの統一でカバー可能な上、制御がしっかりしていれば加減速能力(特に減速能力は高く、現在では停止寸前までは回生ブレーキだけで減速可能な仕様となっている)の高さもあり、技術面の問題が無ければそれ程不利にはならないとも言われている。
車両は、高速運転時にトンネルに進入するなどの気圧変動による居住性の低下を防ぐために気密構造となっている。
このほか、運転台構造ではマスコンとブレーキの配置が在来線通勤電車とは左右逆の配置になっているほか、速度メーターも200km/h以上の運転に対応するため、在来線のような丸型式は基本的に無く、初期の車両は横線式、中期の車両は途中まで斜線その後横線、その右下には細かな速度が表示されるデジタルタイプ、そして最近の車両に関してはグラスコクピットを採用しているものもある。但し一部の形式においては在来線車両を髣髴とさせるアナログ式丸型速度メーターを採用している例もあった(400系やE1系。現在はDS-ATC導入により速度メーターも変更され、その姿は見られない)。


他線区への直通
ミニ新幹線と呼ばれる区間(山形新幹線の福島〜新庄間、秋田新幹線の盛岡〜秋田間)は、在来線の線路を標準軌に改軌改良し、新幹線直行特急として直通乗り入れを行っているもので、法律や設備などの上では正式な新幹線路線ではなく、あくまで在来線である(これらの路線を新幹線と呼ぶのは、利便性やイメージ戦略上の理由である)。そのため、最高速度は一般の在来線と同じく130km/h程度に制限されている。とは言うものの、在来線ではもっとも速い部類にあたる速度である。また、このような運転形態を、新幹線と在来線を直通することから「新在直通(運転)」と呼ぶことがある。
在来線を改軌せずに新幹線への乗り入れを可能にするフリーゲージトレインの開発が鉄道総合技術研究所により進められているが、現在のところ実用化の時期は未定である。


営業中の路線


新幹線(フル規格)
東海道新幹線 東京駅〜新大阪駅間 515.4km(JR東海)
山陽新幹線 新大阪駅〜博多駅間 553.7km(JR西日本)
東北新幹線 東京駅〜八戸駅間 593.1km(JR東日本)
上越新幹線 大宮駅〜新潟駅間 269.5km(同上)
北陸新幹線 高崎駅〜長野駅間 117.4km(同上)
2007年現在はまだ北陸地方へ達していないため、便宜上「長野新幹線」という愛称が付けられている。開業当初は「長野行新幹線」と「行」の字が入っていたが、これは当時「『長野新幹線』という名称だと、『長野までで完成』というイメージが多少あり、長野以遠への延伸の芽を潰すことになりかねない」という、北陸の強い反対があったため。
九州新幹線鹿児島ルート 新八代駅〜鹿児島中央駅間 126.8km (JR九州)
なお、東海道新幹線と山陽新幹線を合わせて「東海道・山陽新幹線」、東北新幹線と上越新幹線を合わせて「東北・上越新幹線」と呼ぶ事がある。

他社の車両が乗り入れているのは東海道・山陽新幹線(東海道新幹線にJR西日本の車両、山陽新幹線にJR東海の車両)のみで、それ以外の新幹線はすべて自社車両(山形新幹線及び秋田新幹線用の車両の一部は正確には保有会社からの貸出)で運行されている。

ちなみに、東京駅では東海道新幹線と東北新幹線の線路が接続されていないため、現在、博多から八戸まで(その逆も)直通で行くことはできず、必ず東京駅での乗り換えが必要とされる。国鉄時代には、当初両線の直通運転を前提として建設の計画がなされていたというが(直通運転の実験用に試験車両961形も製造された)、東京を貫通する需要がほとんどないという調査結果、周波数の違い(東海道・山陽・九州新幹線は60Hzで、その他は50Hz)、それに東北・上越新幹線用のものには降雪対策が施されるなどといった車体設計の違いから、実現には至らなかった。現在では、湘南新宿ラインの利用が好調なことや東北縦貫線計画が進められていることなどから、関東内相互の近距離では東京を貫通する需要(特に通勤需要)もあると考えられるが、国鉄時代と違い別会社の運行となっていることから、実現の可能性は低いと見られている。



新幹線直行特急(ミニ新幹線)
秋田新幹線 盛岡駅〜秋田駅間(田沢湖線・奥羽本線(JR東日本))
山形新幹線 福島駅〜新庄駅間(奥羽本線(同上))
東北新幹線盛岡以北、及び長野新幹線の軽井沢以西はミニ新幹線として建設する事も検討されたが、結局フル規格で建設された。



新幹線規格在来線
新幹線の回送線を旅客扱いするようにしたものであるが、距離が短く高速運転を行わないなどといった理由で在来線扱いになっている。しかし車両は新幹線のものであるため、同線を走る列車は一般の「特急列車」扱いとされ、乗車の際に特急券を乗車券の他に要する。また博多南線の列車はJRにおける列車愛称がない唯一の特急列車ともなる。

博多南線 博多駅〜博多南駅間 8.5km (車両基地への回送線を旅客化)(JR西日本)
上越線(支線) 越後湯沢駅〜ガーラ湯沢駅 1.6km (保守用の引き込み線を旅客化。上越新幹線と接続し、線路名称上も上越線の一部となっている。通称ガーラ湯沢線)(JR東日本)
新幹線では、東京駅から上野駅・品川駅などの短距離区間でも自由席特定特急料金が840円となるのに対し、この区間は在来線特急扱いの列車しか走らないこともあり、特定特急料金がJRの特急料金では最低の100円となる。



新幹線鉄道規格新線
新幹線鉄道規格新線とは、路盤・トンネルなどの構造物を新幹線規格で建設し、軌間1,067mmのレールを敷設して在来線の車両を走らせるもので、「スーパー特急方式」とも呼ばれる。以下の様な例がある。

海峡線 新中小国信号場〜木古内駅間。線路間隔4.4m、ゲージ1,435mmに対応するスラブ軌道を採用。現在は1,067mmにボルトで固定してあるが、北海道新幹線の建設後は三線軌道となる予定。青函トンネル内は国鉄時代に製造された旧型特急車両(通常制限最高速度120km/h)でも140km/h現示まで出せ、新幹線のアナログATCと互換性のあるATC-L形を採用している(但しJR各社はATCシステムのデジタル化を進めており、北海道新幹線建設後は置き換えられる可能性が高い)。なお、勾配は±15‰以内、カーブ半径もR=6500程度と、新幹線規格の範囲で抑えている。架線電圧は現在は交流20kVであるが、新幹線開業時に25kVに昇圧予定で、貨物列車・夜行列車用には複電圧電気機関車が新規に必要となる。
瀬戸大橋線 茶屋町駅〜宇多津駅間。但し児島駅〜宇多津駅間の鷲羽山トンネルと瀬戸大橋は新幹線と在来線の複々線にできる空間が確保されているだけで、新幹線用の線路は未敷設である。茶屋町駅〜児島駅間は一部で勾配やカーブが新幹線規格に適合していない区間があるので、その区間は別途新幹線用の線路が敷設される。
北陸新幹線と九州新幹線鹿児島ルートの一部はスーパー特急方式で着工されたが、後にフル規格に変更された。また、九州新幹線長崎ルートについても一部スーパー特急方式で建設する事が検討されている。

その他の路線については、新幹線鉄道規格新線を参照のこと。



計画中の路線
整備新幹線も参照の事。


着工済
北海道新幹線 新青森駅〜新函館駅間 148.8km(2015年度開業予定)
東北新幹線 八戸駅〜新青森駅間 81.2km(2010年度開業予定)
北陸新幹線 長野駅〜金沢駅〜白山総合車両基地間 (2014年度開業予定・えちぜん鉄道の駅舎改良に伴う福井駅の着工を含む)
九州新幹線鹿児島ルート 博多駅〜新八代駅間 129.9km(2010年度開業予定)


次期着工予定
九州新幹線長崎ルート 武雄温泉駅〜諫早駅間(着工時期未定)

未着手区間
北海道新幹線 新函館駅〜札幌駅間 211.5km
北陸新幹線 金沢駅〜大阪市間 254km
九州新幹線長崎ルート 博多駅〜長崎市間 118km(博多駅〜新鳥栖駅間は鹿児島ルートと共用)


基本計画線
1970年に発布された全国新幹線鉄道整備法に基づき、以下の新幹線が基本計画線として挙げられたが、オイルショックや国鉄の経営悪化などの影響を受けて着工は見送られた。現在でも着工の目処は全く立っていないものの、一部では建設を望む声が根強く残っている。

北海道新幹線 札幌市〜旭川市間 約130km
北海道南回り新幹線 長万部町〜札幌市間 約180km
羽越新幹線 富山市〜青森市間 約560km
奥羽新幹線 福島市〜秋田市間 約270km
中央新幹線 東京都〜大阪市間 約480km
JR東海がリニア新幹線として自力で建設する意向を示しており、2025年に首都圏〜中京圏間の開業を目指すとしている。
北陸・中京新幹線 敦賀市〜名古屋市間 約50km
山陰新幹線 大阪市〜下関市間 約550km
中国横断新幹線 岡山市〜松江市間 約150km
四国新幹線 大阪市〜大分市間 約480km
四国横断新幹線 岡山市〜高知市間 約150km
東九州新幹線 福岡市〜鹿児島市間 約390km
九州横断新幹線 大分市〜熊本市間 約120km


未成線
成田新幹線 東京駅〜成田空港駅間 約70km
1974年に着工したが、オイルショックの影響や、用地取得の困難、沿線自治体の建設反対運動が激しかったこともあり、1983年に工事は中止され、その後1987年の国鉄民営化に伴って基本計画が失効した。建設済みの施設は京葉線東京駅や成田空港高速鉄道線(成田線空港支線)に転用された。
第二東海道新幹線
リニアモーターカーで建設される計画だったが、前述した中央新幹線の計画(山梨実験線の活用)と統合された。
上越新幹線 新宿駅〜大宮駅間 約30km
建設中止(東北新幹線に乗り入れ)となったが、一部区間では用地買収が済んでおり(埼京線高架沿いの空き地など)、新宿駅地下にもスペースが確保されている(都営地下鉄・京王新線の新宿駅は上越新幹線の駅空間を避けるために深い位置に作られている)。整備新幹線開業後の大宮〜東京間及び東京駅の容量逼迫に備えてこの区間の建設を再開すべきだという意見がある。


新幹線の列車愛称
新幹線の列車愛称はJR東海・西日本が運営している東海道・山陽新幹線では速度別に付けられているが、JR東日本が運営している路線では方向・目的地別に付けられている。E1系・E4系「Max」を使用する場合は列車愛称の前に「Max」が付く。JR東日本の長野新幹線およびJR九州が運営している九州新幹線は単一愛称である。


かつて存在したグランドひかりの食堂車
東海道新幹線最終日の初代新幹線0系のこだま東海道・山陽新幹線
「のぞみ」 - 最速列車。料金も下記2種とは別建てとなっている。500系、700系、まれに臨時で300系が使用される。
「ひかり」 - 「のぞみ」の補完列車。当初は大都市駅のみに停車し、各駅停車の「こだま」に対して超特急の代名詞であった。しかし利便性から徐々に乗降客数の少ない駅の停車が増やされ、「のぞみ」が加わった以降では「のぞみ」でも「こだま」(各駅停車)でもない列車という定義になる。山陽新幹線では"ひかりレールスター"と呼ばれる、顧客ニーズに応える形で登場した列車も運行されている。過去には"ウエストひかり"や"グランドひかり"などもあった。「のぞみ」と違い、一部区間が各駅停車となる列車もある。700系、500系、300系が使用される。
「こだま」 - 各駅停車の列車。早朝、深夜のものには、時刻表に「普通車全車自由席」や「全車自由席」と書かれたものがある。東海道区間と山陽区間をまたがる「こだま」は存在しない。700系、300系、100系、0系が使われるほか、早朝・夜にひかりレールスター用700系7000番台を使用する列車がある。
九州新幹線
「つばめ」 - 800系を使用し、新八代駅で「リレーつばめ」と同一ホーム対面乗り換えを行っている。
東北新幹線
「はやて」 - 東京駅〜八戸駅を結ぶ列車(一部は盛岡駅止まりや仙台駅〜八戸駅の区間運転がある)。E2系のみが使用されている。
「やまびこ」 - 盛岡駅以南を走る列車で、下記の「なすの」を除くもの。仙台以南ではE1系以外のJR東日本の全ての形式が使用され、仙台以北はE2系、E3系(こまち編成、造結用)を使用。仙台以北へ乗り入れる列車はE2系のみを使用。
「なすの」 - 東京駅〜那須塩原駅・郡山駅間を走る各駅停車の列車。E1系以外のJR東日本の全ての形式が使用される。
秋田新幹線
「こまち」 - E3系を使用し、盛岡以南ははやてと併結。
山形新幹線
「つばさ」 - 400系・E3系を使用し、福島以南はやまびこと併結。
上越新幹線
「とき」 - 下記の「たにがわ」を除く列車。開業当初は、各駅停車の列車に使用されていた。一時は「たにがわ」への統合で消滅していたが、東京駅から高崎駅まで同じ区間を運行する「あさま」との混同を防止するため、2002年12月1日のダイヤ改正で「あさひ」からの改称という形で復活した。
「たにがわ」 - 越後湯沢駅(スキーシーズンはガーラ湯沢駅)以南を走る列車。通常は各駅停車だが、冬季のガーラ湯沢までの運行のとき、一部の駅を通過することがある。
長野新幹線
「あさま」
また、かつて使われていた列車の愛称として下記のものがある。

東北新幹線
「あおば」 - 各駅停車の列車。1997年10月1日のダイヤ改正で「なすの」・「やまびこ」へ統合して消滅した。
上越新幹線
「あさひ」 - 速達型列車(長野新幹線開業後は各駅停車もあった)。「あさま」と名称が紛らわしいため、2002年12月1日のダイヤ改正で「とき」へ改称された。


新幹線車両
詳細は新幹線車両を参照


青と白のカラーリング(JR西日本仕様)の初代0系0系や100系など国鉄時代の東海道・山陽新幹線車両では車体の素材に普通鋼が使われていたためやや重かったが、東北・上越新幹線用の200系からは耐雪装備による重量増加を抑えるためアルミニウムが用いられて軽量化が図られた。国鉄民営化後に開発された新幹線車両はアルミニウム車体が一般化、さらにアルミ材の加工手法の発達により、製作費のコストダウンとさらなる軽量化の両立が図られた。この結果、近年の車両は国鉄時代に開発された初期新幹線車両より著しく軽量化されている。

現在の新幹線車両の価格は、1両あたり概ね2〜3億円と言われている。なお、新幹線車両の製作を行っているメーカーは現在、日本車輌製造・川崎重工業・日立製作所・近畿車輛(JR西日本のみ)・東急車輛製造(JR東日本のみ)の5社である。

一方で、JR発足以降積極的に行われた高速化に伴い、走行中のパンタグラフと架線の接触や風切り音による騒音の発生や、接触部の著しい消耗などが問題とされた。このため、0系では2両おきに付いていたパンタグラフが300系では8両毎に1つに減ったほか、500系では翼型と呼ばれるT字型の特殊なパンタグラフが設置されるなど改良されて、集電効率も向上した。また、ふくろうの羽ばたく音が他の鳥と比べ静かであることをヒントに、パンタグラフに流線型の突起物を取り付けるなどの改良も加えられた。その他、高速でのトンネルの突入時のトンネル内部の急激な気圧変化による騒音(トンネル微気圧波)の発生を抑えるための、走行時の空気の流動性やトンネル進入時の面積変化率を考えた先端車両の開発などが行われているため、初期の0系に比べ先頭車先端部が長く伸ばされるとともに、通常の電車とは著しく異なった形態(鋭い流線型やカモノハシのような形)を呈する傾向にある。

新幹線においても定期的な車両整備を要する事から、沿線各地には車両基地が置かれている(検査項目についての詳細は鉄道車両の検査を参照の事)。



新幹線の歴史


新幹線の実現まで


戦前における高速鉄道
日本の鉄道は明治時代の草創期にコストの面から狭軌を採用したため、その規格の低さに制約を受け、欧米の鉄道の様な高速運転とは無縁であった。最高速度は1910年代から1950年代まで100km/h以下に留まっていた。

そこで標準軌に改軌する提案も、明治から大正にかけて何度か出されていたが、政争や予算問題などから結局実現しなかった(日本の改軌論争も参照)。

また1910年代には、東京〜大阪間に電車による高速新路線「日本電気鉄道」を敷設する計画が民間から出されたが、国の許可するところとならず、実現していない。

日本における現実的な高速列車開発は、日本の勢力下に在った満州(現在の中国東北部)を縦断する南満州鉄道(満鉄)に始まる。同社は日本の資本と技術により運営されており、ほとんどの幹部・技術者が日本人で、実質的に日本の鉄道と言っても過言ではない。

当時の満鉄は電化以前の鉄道で蒸気機関車牽引であったが、1,435mmの国際標準軌(日本では広軌と称した)を用いた高規格路線であり、保守的な日本内地の鉄道省とは一線を画した先進的な試みを早くから行っていた。

1934年、満鉄は自社設計によって当時の欧米の潮流に互した流線形蒸気機関車「パシナ形」を開発、これに新開発の流線形客車編成(全車冷暖房完備)を組み合わせ、大連〜新京(現・長春)間701kmに特急「あじあ」号を運転開始した。この列車は最高速度120km/h以上を誇り、最高95km/hに留まる鉄道省の列車を遙かに凌駕した。所要8時間30分、表定速度は82km/hに達した。

とはいえ、当時の欧米の鉄道はさらに上を行っていた。例えばイギリスのLondon and North Eastern Railwayがロンドン〜エディンバラ間に運転していた特急列車「フライング・スコッツマン」は、蒸気機関車牽引で最高速度160km/h以上での営業運転を行っており、ドイツ国鉄では気動車列車「フリーゲンダー・ハンブルガー」が150km/h以上の高速で営業運転していた。さらにアメリカの私鉄各社には、定期運転列車を牽引して優に180km/hに達する蒸気機関車さえ存在していたのである。

120km/h運転そのものは、当時の欧米の主要幹線では標準的な水準であり、「あじあ」号の水準はそれに達したものでしかなかった(ただし、冷暖房装置完備は世界の最先端であった)。

この技術が、日本本土の鉄道に直接活かされる事はなかった。しかし同列車の開発関係者には鉄道技術者の島安次郎がおり、その長男の島秀雄と共に後述する「弾丸列車計画」を推し進める事になる。

なお前述した日本電気鉄道のように、民間による大規模な都市間電車は実現しなかったが、中近距離の都市間電車に関しては、新京阪鉄道や阪神急行電鉄、関西急行鉄道、阪和電気鉄道のように、アメリカのインターアーバンの技術を取り入れるなどして、実現させた所もあった。これら路線の多くは、既存の鉄道線と競合する形で敷設されたものとなっており、「(既存の並行線よりも)高規格な路線において、高速運転を行うこと」がその建設目的となっていた。「新しい高規格線を敷く」という意味では、新幹線に通じる所もある。

その中でも、関西急行鉄道は途中での乗り換え(伊勢中川駅)こそあるものの、大阪と名古屋という中距離の2大都市間(当時の営業キロで、189.5km)を電車で結ぶことに成功しており、また阪和電気鉄道は「あじあ」号の水準に匹敵する、表定速度81.6km/hの「超特急」を狭軌路線で運転していた。

これらの私鉄で用いられた電車は、当然ハイレベルな仕様の物が多く(新京阪デイ100形、参急2200系、阪和モヨ100形など)、後述する国鉄における動力分散方式の開発にも、いくらか影響を与えている。



弾丸列車計画
詳細は弾丸列車を参照

1930年代に入ると満州事変・日中戦争などによる日本から中国へ向かう輸送需要の激増で、東海道・山陽本線の輸送量も増大した。

この頃鉄道省内部に「鉄道幹線調査会」が設立され、主要幹線の輸送力強化についての検討が行われた。ここから抜本的な輸送力増強手段として1939年に発案されたのが「弾丸列車計画」であった。

これは、東京から下関まで在来の東海道・山陽本線とは別に広軌(1,435mm・標準軌)の新路線を建設し、最高速度200km/hと満鉄「あじあ」号を超える高速運転を行い、東京〜大阪間を4時間、東京〜下関間を9時間で結ぶ事を計画したものであった。この計画は翌1940年9月に承認され、建設工事が始められる事になった。

既にこの時点で、新しい幹線を引くという事から「新幹線」や「広軌新線」という呼称を内部関係者は用いていた。「新幹線」の語はここが起源だとされている。

また将来的には対馬海峡に海底トンネルを建設して朝鮮半島へ直通、釜山から奉天(現・瀋陽)を通り満州国の首都新京(現:長春)、さらには北京・昭南(現:シンガポール)に至る、という構想も一部では描かれていた。

当時の鉄道はまだ機関車が客車を牽く方式が一般的で、「弾丸列車」も電気機関車と蒸気機関車を併用する方式で計画された。

1941年の太平洋戦争勃発後も工事は続けられ、日本坂トンネル(後に新幹線に利用)などの工事が進展したが、最終的には戦況の悪化で頓挫した。しかし、そのルートの相当部分が後の東海道新幹線建設で役立てられた。特に、土地買収が戦時中の時点で半ば強制的な形で相当な区間において終わっていた事は、新幹線建設をスムーズにした。

この弾丸列車計画の技師たちが居住した地として、静岡県田方郡函南町には「新幹線」という地名が、東海道新幹線の開業前から存在した。



動力分散化への流れ
太平洋戦争終結後数年間、鉄道をも含めて混乱の極みにあった日本も、1950年の朝鮮戦争以降本格的に復興し、鉄道の都市間輸送需要も急激に伸張していった。

旧日本軍の研究部門や軍需企業に所属し、戦後その職を失ったり技術を持て余していた優秀な人材を、昭和20年代の国鉄が多数獲得した事は見逃せない事実である。高速走行中の車両の振動や、空力特性の研究は、旧軍出身技術者の存在によって大きく進展した。

1955年に国鉄総裁に就任した十河信二は、国鉄出身の卓越した技術者であるが一時民間に在った島秀雄を再度招聘し、国鉄技師長に就任させた。彼らを中心とする人々が、その後新幹線計画を推進する事になる。

地盤が悪く山がちな日本において列車を高速運転するには、機関車が客車を牽く「動力集中方式」よりも、電車・気動車の様に編成の各車両に動力を持たせる「動力分散方式」の方が適している。カーブや勾配の多い条件でも加減速能力に優れ、また線路への負担が小さいため、脆弱な地盤に敷かれた線路でも高速を出せるからである。当時は蒸気機関車主流の時代であり、また国際的に見ても主流であることから、動力集中式に固執する者の多かった国鉄部内で、例外的に戦前から動力分散方式の特性を理解し、研究して来たのが島秀雄であった。

島は1951年に事情によって国鉄を離れていたが、彼の指揮の下で1950年に開発された東海道線普通列車用の80系は、電車が長距離運転にも優れた特性を発揮するという事実を実証し、その後国鉄の在来線に電車・気動車の普及を進める原動力となった。島の復帰以降、国鉄の動力分散化の流れはさらに加速する。



高性能電車の出現
日本では1953年以降、欧米からの新技術移入や国内メーカーの技術開発に伴い、電車の高性能化の動きが始まった。

この過程で、振動を抑制し、乗り心地改善と高速運転に資する「カルダン駆動方式」、床面シャーシだけでなく側板や天井にも応力を分散させた「全金属製軽量車体」、全車両にモーターを搭載して加速力を高める「全電動車方式」、反応速度が速い上に取り扱いが容易な「電磁直通ブレーキ機構」など、それ以前の電車とは一線を画する重要な革新的技術が、1953年からわずか数年の間に実用化されて普及した。

この結果、高速性能・加減速性能に優れ、しかも居住性の良い「新性能電車」が、1954年以降大手私鉄を中心に続々と出現して、大きな技術的成功を収めた。国鉄もこの潮流に乗って高性能電車の開発に取り組み、1957年に新型通勤電車モハ90系(後の101系)を完成させる。

同年に小田急電鉄が完成させた低重心・連接構造の流線型特急電車3000形「SE車」は、アメリカで1941年に開発された高性能連接電車「エレクトロライナー」に影響を受けた設計で、最高速度145km/hを目指した野心作であった。

これに着目した国鉄は、高速走行時の特性に関する研究を目的に、小田急からSE車を借り入れ、1957年9月に東海道本線で速度試験を行った。結果SE車は計画通りの145km/hに到達して当時の狭軌鉄道の世界速度記録を達成した。続いて国鉄は90系通勤電車をギア比変更などで高速化改造、空気抵抗の面で不利な形態ながら135km/hの好記録を達成した。

これらの実績を踏まえて、1958年には90系の技術を応用し、東海道本線特急「こだま号」用に国鉄初の特急形電車モハ20系(後の151系)が開発された。流線型の軽量・低重心な車体は冷暖房完備で、空気バネ台車も装備し、スピードと快適な乗り心地を両立させて、動力集中方式の客車列車を完全に凌駕した。翌1959年7月には、東海道本線での速度試験で最高速度163km/hに達し、SE車の速度記録を更新した。

これらの電車における顕著な成績は、動力分散方式の資質を実証し、ひいては新幹線車両に電車を用いる事への強力な裏付けとなった。

また1955年から国鉄は交流電化方式の実用化に独自に取り組み、1957年の北陸本線を皮切りに、地方線区での交流電化を開始していた。これ自体は従来の直流電化に比べ、地上設備コストが低いと考えられたことによるものであったが、後に新幹線の電化システムに応用されることになる。超高速の電気鉄道においては大量の電力消費が生じ、これを架線から効率よく集電するには、従来から用いられて来た1,500Vの直流電源より、高圧交流電源を用いる方が適していたのである(日本の鉄道の交流電化方式は在来線20kV、新幹線25kV)。



新幹線建設へ
これに先立ち、戦後の復興と共に鉄道及び道路輸送の需要が増大すると、当時の日本における最重要幹線であった東海道本線の貨客輸送能力は、ほぼ限界に達していた。1956年に東海道本線の全線電化が完成するが、需要の増加には焼け石に水であった。

1957年、国鉄内部の「幹線調査会」は、東海道線の輸送力飽和は早晩必至とし、現在線以外の線路増設が必要であると答申した。実際の手法として様々の案が出されたが、特に有力だったのは以下の案だった。

現在線に沿って線路を増設、複々線とする。
別ルートで狭軌新線を建設する。
別ルートで広軌新線を建設する。
結局東海道の線増計画は、従来の常道であれば複々線案が採られたところであるが、十河ら国鉄幹部は将来の発展性を視野に入れ、あえて困難の多い広軌新線を建設する事としたのである。それは戦前の弾丸列車計画を、戦後の技術革新の下で、改めて実現しようとする超高速列車計画であった。

同年5月25日には鉄道技術研究所(現:鉄道総合技術研究所)が、広軌新線ならば東京〜大阪間の3時間運転は技術的に可能であるという報告を創立50周年記念講演会で述べた。十河総裁はその話を聞くや強い関心を示し、国鉄幹部を集めて技術研究所員に詳細を話させたという。

当時欧米では、将来の大量輸送手段として航空機と高速道路網による高速輸送が有望視され、鉄道はそれらに取って代わられる時代遅れのものだという見解が広まっていた。日本でもこれを範としようとする向きが一般的であり、在来線とは別規格の高速新線を建設するというプランは、国鉄内部でさえも疑問視する者が多かった。

鉄道ファンでもある作家の阿川弘之ですら、戦艦大和(大和型戦艦)・万里の長城・ピラミッドが「世界三大馬鹿」であり、この時期に莫大な投資をして新幹線を造れば「第2の戦艦大和」となって世界の物笑いの種になると批判した(後に阿川は新幹線が世界の鉄道斜陽論を覆すに至るまでの成功を収めたのを見て、十河の跡を継いで国鉄総裁を務めた石田禮助との対談において、自らの不明を悔やむ発言をしている)。

その様な厳しい状況下で、十河と島は東海道に新たな大規模高速輸送用の鉄道路線(新幹線)を実現すべく政治的活動(十河が担当)と、技術的プロジェクト(島らが担当)を続けた。

技術的裏付けの下、1958年に建設計画が承認され、翌1959年4月20日に起工式が行われた。総工費は当初予定から修正され、3,800億円にまで膨らんだ。元々十河などが国会内での承認を取るために安く見積もっていたのであり、十河と島は新幹線開業前に責任を取る形で国鉄を退職する事になる。

1961年5月1日に国鉄はこのプロジェクトに対し、世界銀行から8,000万ドル(当時は1ドル=360円の固定相場制)の融資を受けたが、1964年までに完成させるという厳しい条件が付けられた(この融資は1981年に返済が完了した)。

その建設に関しては前述の通り、戦前の「弾丸列車計画」の際に掘られたトンネルや、買収された用地の多くが活用された。5年という短期間で完成したのは、このときの用地買収及び工事があったからだともいわれている。また京都府では、完成した新幹線の線路を高架工事中の仮線として用いて、暫定的に阪急京都本線の電車を走らせていたこともあった(→新幹線の線路を走った私鉄電車)。



鴨宮モデル線区
1962年には神奈川県小田原市近郊に鴨宮モデル線区(小田急線高座渋谷駅付近〜東海道線鴨宮付近)が完成した。ここが試験地域に選ばれた理由は以下の通りである。

戦前の弾丸列車構想に際してすでに用地を取得しており、早い時期に着工する事が可能である。
直線・カーブ・トンネル・鉄橋と、線形や地上設備のシチュエーションが一通り揃っており、データ収集が容易である。
鴨宮付近では東海道本線と隣接しており、車両・資材などの搬入に便利である。
鉄道技術研究所からも近く、問題が発生した時も対処が容易である。
ここで2編成の試作電車「1000形」が走行テストを繰り返した。2両編成の「A編成」(1001・1002)と、4両編成の「B編成」(1003〜1006)が製造され、台車や車内設備、窓形状などに差異を付けて比較材料としている。

試験中の1963年3月20日、1000形B編成は256km/hの国内速度記録を達成している。

鴨宮モデル線区での研究は、初代新幹線電車となる0系や、線路設備の開発に活かされる事になった。

しかし、この鴨宮モデル線区にはある欠点があった。相模湾に近く、冬でも比較的温暖な鴨宮では、降雪時の高速運転を想定した試験データは十分に得られなかったのである。

東海道新幹線の名古屋〜新大阪間経路は、当初計画した鈴鹿山地経由ルートが費用や技術、工期の制約から断念され、東海道本線同様に関ヶ原を経由するルートに変更されていた。

関ヶ原周辺は谷間で標高も高く、冬期には激しい降雪のある地域でもある。この様な区間を冬期に高速列車で通過する状況の研究が、開業前には十分に行えなかった。このことは、1964年の開業後初めての冬期に関ヶ原での着雪による車両故障を頻発させる原因となった。

この鴨宮モデル線区は、開業後も設備が無駄にならないよう、建設中の路線の一部を先行完成させて利用する手法が採られた。このため、東海道新幹線開業に当たっては、その一部に組み込まれている(新横浜〜小田原間の一部)。この手法は後続の他の新幹線路線や、リニアモーターカー試験線にも踏襲されている。

またテストに使われた試作電車は、東海道新幹線開業後に改造を受けた。A編成は救援車941形に、B編成は電気軌道総合試験車922-0形となり、それぞれ役立てられる事になる。



開業以後


国鉄分割・民営化まで
1964年10月1日、東京オリンピックの開催に合わせて東海道新幹線が開業した。併せて専用の0系が開発され、営業に投入された(→1964年10月1日国鉄ダイヤ改正も参照)。

開業当初の営業最高速度は200km/h。路盤の安定を待って翌年に210km/h運転を開始した(→1965年10月1日・11月1日国鉄ダイヤ改正も参照)。

日本の二大都市である東京〜大阪間は、1958年から在来線の特急で日帰り可能になっていたものの滞在時間がわずか2時間余りしか取れなかった。しかし新幹線の開通により、日帰りでも滞在時間を充分取れる様になり、社会構造に著しい変化を及ぼした。ビジネスやレジャーの新しい需要を喚起し、東海道新幹線においては当初の12両編成が、1970年の大阪万博の開幕を機に16両編成まで拡大され、高速大量輸送機関としての確固たる地位を確立した。

その一方で、新幹線の建設や特急・急行列車の増発、さらには都市部における通勤輸送増強(五方面作戦など)などの設備投資に追われた事から、新幹線の開業した1964年度から国鉄収支は赤字に転落し、以後それは拡大する一方となって、結果的に新幹線建設は国鉄破綻の1つの原因となった。しかし以後の国鉄において、新幹線は重要な収入源ともなっていく。

その後、東海道新幹線に続いて、同じ様に需要の増加していた山陽本線の抜本的輸送力改善と高速化を目的として、1967年に東海道新幹線を延伸する形で山陽新幹線が着工され、1972年3月15日に岡山まで、1975年3月10日には博多まで開業した(→1972年3月15日国鉄ダイヤ改正・1975年3月10日国鉄ダイヤ改正も参照)。「ひかりは西へ」がそのキャッチコピーであった。

さらに東北方面への延伸も計画された。1971年に東北新幹線と上越新幹線が着工され、1974年には建設中の成田空港へのアクセス路線として成田新幹線も工事に入った。折しも田中角栄内閣総理大臣による「日本列島改造論」という発言があり、整備は順調に進むかに見えた。

だが、実際には用地買収の難航やトンネル工事での異常出水などがあり、前者2つの新幹線は予定より工事が5年も遅れ、成田新幹線に至っては工事中止となってしまった。また、新幹線沿線での騒音・振動による公害問題がこの頃深刻化した(名古屋新幹線公害など)。さらに国鉄財政の悪化に伴う運賃・料金値上げの繰り返し、労働紛争によるストライキの頻発化などから、既存新幹線の乗客が減少傾向に陥った。そして労働紛争の影響からか技術革新が見られなくなり、新幹線の発展・発達は一時停滞した。

1982年に大宮発着という暫定的な形で東北新幹線と上越新幹線は開業し(→1982年11月15日国鉄ダイヤ改正・新幹線リレー号も参照)、1985年には用地買収の関係で遅れていた都心(上野)乗り入れを果たした(→1985年3月14日国鉄ダイヤ改正も参照)。これにより東北・上越地方における鉄道シェアは大幅に拡大した。だが、国鉄財政はそれら新幹線の建設費負担も重なって遂に破局的状態となり、中曽根内閣の下で断行された1987年の国鉄分割民営化に至るのである。



JR発足から現在までの流れ
国鉄の分割・民営化後、東北・上越新幹線はJR東日本、東海道新幹線はJR東海、山陽新幹線はJR西日本の運営とされたが、当初設備は第3種鉄道事業者の「新幹線保有機構」が保有し、各会社が第2種鉄道事業者として路線を借り受けて運営する形とした。新幹線の保守費用は各社が負担し、新幹線保有機構は設備の貸し代だけを受け取るもので、利益の出る新幹線事業によって赤字となる他地域JR会社への補填を行うのが目的であった。

しかし、前記JR3社の経営が安定化して、東京証券取引所などへの上場が視野に入ると、輸送量に応じて貸し賃が変わるこの制度のままでは会社の営業努力が反映されない事や、各社の資産・債務の額が確定できない事などが問題視され、結局1991年に制度を変更し、各鉄道会社が新幹線資産を新幹線保有機構を改編した鉄道整備基金から60年賦で買い取る事にした。

分割・民営化後、技術・営業面で停滞していた新幹線も新型車両の登場、新形態など積極的な流れが見られる様になった。

後者の代表として、JR東日本は新幹線規格(フル規格)の線路を新規に建設することなく、既存の在来線を改良し、専用の車両を新造したうえで、新幹線と在来線が直通運転できるようにしたミニ新幹線を整備した。

1992年に400系を新造し、山形新幹線として奥羽本線の福島駅〜山形駅が、1997年にE3系を新造し、秋田新幹線として田沢湖線・奥羽本線の盛岡駅〜秋田駅が、1999年にE3系1000番台を増備し、山形新幹線の延伸として奥羽本線の山形駅〜新庄駅が、それぞれ順次営業運転を開始した。

JR西日本は山陽新幹線博多総合車両所への回送線を旅客線化し、1990年に博多南線として博多駅〜博多南駅を、こだま号に使用される車両を用いる在来線特急という形態で営業運転を開始した。

また最高速度は210km/hの時代が長く続いたが、国鉄末期頃(→1985年3月14日国鉄ダイヤ改正・1986年11月1日国鉄ダイヤ改正も参照)から次第に向上されるようになり、2007年現在では300km/hに至っている。

そして国鉄末期に建設が凍結されていた整備新幹線は工事が再開され、東北新幹線(盛岡〜八戸・2002年)・北陸新幹線(長野新幹線・1997年)・九州新幹線(新八代〜鹿児島中央・2004年)が部分開業し、残った区間や未開業の北海道新幹線なども工事が次第に進みつつある。

また近年、新幹線による通勤・通学が増加しつつある。これは、いわゆるバブル以降の大都市における地価の高騰で、新幹線で通勤・通学が可能な郊外(主に東京への通勤・通学を目的に栃木県、群馬県、静岡県東部が多い)の住宅に住む人が増えたためである。1983年2月の新幹線定期乗車券販売開始をきっかけに、新幹線通勤定期券を支給する企業の増加、さらに企業が支給する通勤定期券代の所得税非課税限度額の引き上げがそれに輪をかけた。朝・夕の新幹線においては通勤客で混雑が激しくなり、現在では通勤客向けのダイヤも設定されるようになった。これに対応してJR東日本ではMaxという多座席型の2階建車両を投入し、1列車あたりの定員を大幅に増やした。



新幹線の安全神話
1964年10月1日に最初の新幹線である東海道新幹線が開業して以来、40年以上に亘って新幹線に乗車していた乗客の(新幹線に起因する)死亡事故は発生していない。

投身自殺による死亡例は多数発生しており、またドアに乗客の手を挟んで引き摺り死亡させたケース(1995年、三島駅乗客転落事故を参照)はあるが、これらは新幹線システムそのものの根本的欠陥に起因する事故ではないため例外と考えられ、新幹線の安全性は概して非常に高いものと捉えられている。新幹線の安全を確保するシステムが的確に運用され、恒常的に維持されてきていることは、日本の鉄道技術の水準を端的に示す要素であるとも言える。この事実は新幹線の安全神話などと称され、一部にはこれを過信する向きもある。確かに従来の実績から、新幹線における事故の発生確率は低いと考えられるが、死者こそ生じなかったものの、重大な事故は実際に何度か発生している。




広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。